週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

恵み、について考える

八ケ岳の家の

道を挟んだお隣のKさんの家は

広い敷地で有機農業をやっています。

朝、窓を開けると、

まだ7時過ぎだというのに

農作業をされています。

それを見ると

朝のいつものめまいやら吐き気やらが

吹き飛ばされそうな気がします。

そうやって元気をもらうことがあります。

 

もらうのは元気ばかりではありません。

 

Kさんの家と道路との垣根には

びっしりとブラックベリーの蔦が

生えまくっています。

 

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一週間前はこんな実になっていなかったのに・・・!

と驚きながら写真を撮っていたら

Kさんの奥様とお嬢様がクルマで通りかかって

「どうぞ採ってくださって結構ですよ。」

という、とてもありがたいお言葉をいただきました。

(ちなみに、というか、もちろん、というか、

Kさんの敷地でちゃんと栽培しているので

勝手に採っていい、というものではありません!)

 

お言葉に甘え

10粒ほど採って東京に持って帰り、冷蔵庫に入れ、

今日、4日ぶりに食べたら、

とてつもなく甘かった!

 

「自然の恵み」というのは

誰もが知っている言葉です。

 

太陽の恵み。

大地の恵み。

雨の恵み。

雪の恵み。

山の恵み。

風の恵み。

植物からの恵み。

微生物からの恵み。

動物からの恵み。

 

ここ八ヶ岳には

たくさんの自然の恵みがあります。

 

でも「人の恵み」も

ここにはあります。

(Kさんからいただいた親切を、

恵み、なんて言ってしまうのは間違いかもしれません・・・)

 

今週東京に戻ってから、

その足で実家に行って、

それから病院に連れて行くなど、

月曜・火曜は介護らしきことをして

今日、水曜日は、また東京に戻って

朝から会議やら

たまっていた仕事の整理整頓やら。

 

明日の夜は

仕事関係の人と会食があり、

金曜日は、朝の10時半から

映像シナリオのプレゼンテーションです。

 

自然の恵み、人の恵み。

今週はそんなものとは縁遠い、

別世界にタイムスリップしてしまっているかのようです。

(どっちが自分のリアルなんでしょうか?)

 

東京と八ヶ岳を行ったり来たりしていると

「恵み」というものの大切さに気付きます。

 

「もらえるものはなんでももらえ」

「タダよりうれしいものはない」

そして、「わらしべ長者」なんて言い方もありますが、

全部お金ありきから出てきた言葉のようで

あまり好きではありません。

もっといろいろな「恵み」を大切にしていけば

本当に恵まれた社会がやってくるのではないかと思うのです。

 

無論今あるすべての文明を否定するわけではありません。

灯台下暗し、ではないですが、

もともと人が大切にしていたものをもう一度見直せば、

なんだか新たしい幸せのヒントがあるような気がして。

 

特に「人の恵み」について。

 

「饋」(き)という漢字があります。

食べ物をあげる、という意味らしいのですが、

その原義は「愛」だそうです。

つまり、愛とは食べ物をあげこと、なのです。

 

人間以外の生物は

自分が死んで土に還り

微生物の栄養となって

植物を育て

やがてほかの命を育みます。

そうして「饋」をしているのです。

 

人間も死んだらそうして「饋」をする存在でもあります。

それどころか、

生きている間でも別の人に(あるいは別の命に)

「饋」することができる、

すごい存在だと思うのです。

 

そんなことを思いながら

さあ、我が八ヶ岳をどう飾ろうか・・・

とネットでで探していたら

とあるステッカーに行きあたり、

思わず買ってしまいました。

それが今日届きました。

 

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なんて書いてあるかというと、

”Treat Others The Way”

「自分にしてもあらいたいことを人にしてあげよう」

 

人間のこの叡智を

未来へ活かせないか・・・と

僕は僕なりに

(というか年寄りなりに)

まだまだ模索していきたいと思います。