週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

都営バスで見た人間味あふれる瞬間

昨日渋谷で打ち合わせを終え、

渋谷から早稲田正門まで

明治通りを通っていく都営バスに乗って

帰る途中のことでした。

 

昼間は暖かい日でしたが

夕方は強い風が吹いて

冬のように寒く感じられました。

明治通りはやたらと混んでいました。

 

乗った駅の次の駅、

「宮下公園」というバス停でバスは止まりましたが、

乗降客がおらず、すぐさま出発。

最初の交差点を過ぎ、渋滞にはまり止まっていたら、

乗降口のドアをコンコン叩く

おばあさんがいました。

 

乗せてください、というお願いでした。

 

でもバスはもうバス停を出てしまっています。

運転手さん、

戸惑いながらもハッキリと

「バス停を出てしまっているのでもう乗れません」

と、乗車を拒否しました。

 

おばあさん、仕方なさそうにバスを離れていきました。

 

ここがもしも東京じゃなかったら。

ここがもしも渋滞していなかったら。

もしもおばあさんの体が不自由だったら。

もしも僕が運転手だったら、

どうしただろうか・・・

などとぼんやり考えてしまいました。

 

路線バスは国土交通省の許可のもとで運行されています。

「道路運送法」という法律を守らなくてはいけません。

バス停以外での乗降はしないように、と指示されています。

 

人情的には乗せてあげたいと思っても、

公共のルールに従っているので、

そのルールを破ることはできないのです。

 

致し方ない事なのでしょう。

でも、ここが八ヶ岳だったら、

僕は思わず乗せちゃうだろうな・・・

と思いました。

それで謹慎処分とかになろうとも。

 

場所や季節、お客さんの体の具合とかによって、

臨機応変な判断が許される

柔軟で懐の深い社会ってできないんだろうか。

ルールで縛られた不自由な社会は

人間味の喪失につながると思います。

 

あのおばあさん、

次のバスが来るまでの30分の間、

強風吹きすさぶ中かわいそう・・・。

 

なんとなくしんみりした気持ちになった僕を乗せて

渋滞の中をノロノロ進むバス。

間もなく次のバス停、

「神宮前六丁目」に到着しました。

 

乗降口のドアが開きました。

乗客が一人乗ってきました。

見るとビックリ。

前のバス停で乗れなかった

おばあさんではありませんか!

 

おばあさん、ハッハッと息を切って

バスに乗り込んできました。

「絶対このバスを捕まえてやる!」

そんな思いで次のバス停まで

小走りしてきたのでしょう。

 

僕がしんみり思っていたことは

あっというまに強風で吹き飛ばされた感じです。

というか、おばあさん、強い。

 

これが”生きる”ということなのでしょう。

妙な人間味を感じたひとときでした。