週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

”現実への回帰”を求めて。

お盆の連休前に振っておかないと・・・

とばかり、

先週の木曜と金曜は仕事が舞い込んだ。

クライアントとはそういうものです。

それと同時に

お盆明けのスケジュール調整で

変更に変更が相次いで

イライラしながら消えるボールペンで

書いたり消したりしていたら

手帳の紙が破けた。

 

土曜日は一泊で

実家の老親の様子を見に行った。

運転免許証の返納のこと、

家の処分のこと、

通帳のありかなど

言いたいことを伝えたその夜、

呪文を唱えるようにうなされる父の寝言に

ほぼ一睡もできなかった。

 

そして今日、

福島から東北道、北関東自動車道、関越道、

上信越自動車道と乗り継いで

八ケ岳に入った。

 

休み休みのんびり行ったら、

6時間ぐらいかかった。

 

未来は僕を前へと蹴とばし、

過去は僕を後ろへ引きずり、

人生はその両側から綱引きされて、

そのどちらでもない方へ

向かって行っているのが

今という現実なのではないだろうか・・・。

 

そんなことをぼんやり考えながらの

八ケ岳へのロングドライブは、

混雑する車線を横目に快適に走り、

過去からも未来からも

少しずつ解放されていくようでした。

 

二地域居住の行ったり来たりの道中は、

しょっちゅうこういうことを考えています。

 

始めの頃僕は、

東京から八ヶ岳に行くのは

”現実からの逃避”だと思っていました。

もちろんいい意味での、です。

 

ですが最近、それは

現実からの逃避、ではなく、

”現実への回帰”じゃないかと

考えるようになりました。

 

もっというと未来や過去からの逃避ではないか、と。

 

日々の暮らしは

現実を生きているようで

未来とか過去にとらわれています。

 

前と後ろばかりに気をとられ、

横や斜めに行けなくなった一直線。

過去から離れようと頑張って、

未来というゴールを目指して突っ走っても、

同じ距離感で離れていく未来と、

同じ距離感で追って来る過去。

 

でも窓の外の夜空には

大きな月が輝いていて、

目をやれば

遅れることもなく

抜くこともなく、

ずっと並走してくれているのがわかる。

それが現実じゃないかと、

そんな気がして。

 

途中の野辺山の夕景は

まもなく現れる現実を予告するかのような

ずっしりとした妙なリアリティを携えていて、

山小屋に到着する頃には

僕はすっかり未来からも過去からも

解き放たれていました。

 

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今日が今という現実の始まり。

一週間の夏休みですが、

セミのごとく夏を謳歌するぞ、と!