週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

依存しあう両親の介護に思うこと①

僕の父は89歳、

母は86歳。

東京から2時間弱新幹線で行った

とある田舎町が実家で、

そこで二人で暮らしています。

 

母は腰が悪く両足にチタンが埋められており

3年ほど前に心臓の手術を受け、

かろうじて近場をつかまり歩き出来る程度で

あとは車いすで移動しています。

興奮したり疲れたりすると心臓がバクバクしてまずいので

発作止めの薬を手放せません。

要介護1から3を行ったり来たりしています。

 

その母を介護している父は歳の割にしっかりしています。

 

が、今週の月曜日に高熱を出し

足が動けなくなって救急車で病院に運ばれました。

 

母から連絡をもらい

あわてて病院に駆け付けたのが水曜日でした。

 

その最初の電話口で、

母が高齢で

たぶん病状を話してもわからないだろうと

悟った担当医が出て、

僕に病状を説明してくれました。

 

まだ詳しい検査をしないとわからないけれど

弱った足腰の筋肉に菌が入って膿んだ、

という見立てで検査します、

ということでした。

 

聞くとさほど命に別状はなさそうで

ただ膿みがなくなるまで抗生物質を投与しなくてはならず

だいたい3週間ほどの入院は必要になるとのこと。

 

ほっとしたものの

大きな問題が浮かび上がりました。

 

母の介護をどうするか?

ということです。

 

実は母は確かに心臓や足腰に爆弾をかかえてはいるけれど

食事や排せつはかろうじて一人で出来ます。

ある程度自立してできる、ということです。

ただ父があまりに心配して

全部面倒見ていたので

父に頼りっきりでした。

 

いや、もっとはっきり言いましょう。

父と母は「共依存」という関係で、

特に母の方は「メサイア・コンプレックス」の持ち主で、

わかりやすく言うと”偽善愛”に近く、

私はこんなに神様のように素晴らしい人なのよ、とか、

私は今こんなにつらいけどこんなに頑張っているのよ、

というオーラで、

だったら応援しないと!と人をひきつけることがうまく、

その蜘蛛の巣にまんまと引っかかっているのが父、

そんな構造でした。

 

父は母を死ぬほど大事にしていて

お前が死んだら俺も死ぬから、

と、人前でも公然と手を握るような感じでした。

母は多分そう言わせることで

よっしゃー!・・・と思い、

ようやく自分を保っていたのでしょう。

 

子供の僕から見たら

ちょっと・・・というか、

かなり異様な関係。

 

その父が3週間ほどの入院となりそうとのこと。

 

まずは父が、母を一人にしておけないあまり、

自分が退院するまでの間

リハビリをメインとする

介護福祉保健施設にショートステイさせようとしました。

それで毎週来てもらっているケアマネージャーに

急ぎ母のショートステイの段取りをお願いし、

それに同意したケアマネージャーさんは

僕に連絡してきて

東京から来た足で

すぐさま契約したいので駅でお会いしましょう、

と提案してきました。

 

でもその3時間後、

そのケアマネさんから電話があり、

母は絶対に嫌だ!と言って

父と口論したようで、

どうしいいかわからないので

一旦この話は保留にして、

僕が実家に着いた夕方

相談に来る、という話になりました。

 

そうして夕方、

なんとかショートステイして欲しいケアマネさんと僕の

説得の時間です。

 

上から目線で

絶対に施設に入らないとダメだ!

みたいな口調は厳禁のようで、

父は母に退院した時も元気でいて欲しいから

進めているんだよ・・・

と柔らかく言うといいとのことだったので、

とにかく下手に下手に話したら

本音が見えてきました。

 

大好きな夫・・・というか、

手なづけた夫に施設に行ってしまえ、

と放り投げられたようで

それがたまらなく悲しかったようなのです。

でも大好きな妻・・・というか、

”自分の生きがい”の安全を常に見届けたい一心で

そう言った父はショックだったようで、

病院のベッドの上で見ていられないほど

落ち込んだようです。

 

そんなこんなの状況を話したら

何となく母も理解し始めたようで、

そこまで父さんが言うのなら・・・

という気持ちになってきたようなので

僕もケアマネさんも

少しほっとしました。

 

ほっとすると同時に

この「共依存」の二人の、

周りを巻き込むロミオとジュリエットの猿芝居に、

僕は無性に吐き気がしたので

デパスを飲んでしまったほどです。

 

二人が「共依存」であり、

母は「メサイア・コンプレックス」だというのは、

別段誰から指摘された話ではありません。

ものごころつくころから

二人の関係に違和感を感じ、

自分の未来にもその蜘蛛の巣を仕掛けられているように

行く手を阻まれ、

すごい重荷を感じていた僕が、

なんで自分はこんなに両親のことを考えると

重く暗くなるんだろう・・・

とずっと思っていている時に、

『嫌われる勇気』というアドラーの心理学の解説本で読んで

確信した話です。

 

この重く暗い気持ちは

距離を置いて暮らしても

50歳になっても続いていました。

というか、

距離を置けば置くほど

長男なんだから、という天下の宝刀を振りかざし、

お前も人の親になったんだから

俺たちの気持ちもわかるだろう!

と同情を誘うその説教に、

ずっと足枷をはめられていた感じなのですが、

最近徐々に足枷が外れていく感じがわかりはじめ、

「ここまで育ててくれたありがとう。

だから安心して逝ってください。」

そう割りきれるようになりました。

 

多分僕の両親は二人とも自立できていないのです。

それは育った環境に大いに左右されるので

攻めるつもりなど全くありません。

その初めての子供である僕は、

「共依存」の標的に

ずっとさらされていたのだと思います。

それに巻き込まれそうな自分と

巻き込まれまいとする自分が

ずっと自分の中で戦い続けてきて

ようやくその戦いの出口が見えてきた感じです。

 

実は今回の父の入院騒ぎは

二転三転して

どうやら2週間もたたずに退院できそうになったのですが、

目から鱗の共依存現場を目撃したり、

僕以外の親戚の人に申し訳なく思ったりした感情を通じ、

ものすごく色々なことが

霧が晴れるようにスッキリしてきた感じがしています。

僕自身が少しづつ自由の気分をわかりつつあります。

 

でも決して両親が嫌いだとかそういうことはありません。

彼らも彼らなりに

辛い幼年期を送り、

依存体質になってしまったのだろう、と、

距離を置いて見ることができ、

同時に自分だったらそうはなるまい、と確信し、

だからこそ生んでくれてありがとう、

と思えるようになってきたということです。

 

いずれこの話の続きやら

感じたことを少しずつ綴りたいと思います。

 

八ケ岳に山小屋を買って週末行っていることは

両親には一切言っていません。

そこは僕のサンクチュアリにしたいからです。

 

長男なんだから実家に戻って来て欲しい!

両親の面倒を見て欲しい!

あの手この手で訴えかける両親の姿から逃れるように

なんとなく後ろ髪惹かれる想いがあったのですが、

バイビー!

サンキュー!

僕は僕で自分らしく生きていくよ!

 

この週末は行けなかったのですが、

そのスタート地点として

山小屋の存在が俄然大きくなって思えます。