週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

遂にその日が・・・!娘の結婚式。

昨日は

いよいよきてしまった

娘の結婚式でした。

再開発された赤坂プリンスホテルの敷地に残った

赤坂プリンスクラシックハウス

という、

東京都の指定有形文化財の洋館にて

近親者のみの少人数で行いました。

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涙もろい性格なので

周りから絶対泣くぞ、と言われており、

それに対して

泣くの禁止派の妻・娘(花嫁)・息子、と、

泣くのをみたい派の親族と、

2派にわかれていましたが、

時折ほろっと涙がこぼれる場面があったものの、

あとはほぼほぼ涙は見せずに済みました。

 

というか、感動している場合ではないくらい

新婦の父としての役目があって

緊張していたのです。

 

まずは親族の紹介をしなければなりません。

いつもは愛称などでしゃべっているせいか

いざこういう場面になると

正式な名前がパッとでてきません。

特に名字!

「〇〇ピーって、そういえば名字なんだっけ?」

といった具合に、突然記憶が飛んでいるのです。

あらためて紙に書いてポケットに忍ばせたのですが、

隣で妻が小声でフォロー入れてくれたので

事なきを得て終わりました。

 

次に花嫁のエスコート。

もちろん簡単なリハーサルもあり、

スタッフが常にサポートしてくれるので

全然平気だったのですが、

どんな顔してエスコートしたらよいか、とか、

ドレスを着た娘の歩くスピードはどのくらいか、とか、

余計なことばかり考えてしまい

式の間中頭はフル回転。

娘の手を取ってのバージンロードは

さながら平均台の上を歩くがごとく

ふらふらでした。

 

さらに披露宴に移ると、

乾杯の挨拶があります。

ひとこと述べるのが通例のようなので

長くならないようにしながらも

気の利いたことを言わなきゃいけないし

失礼があってはいけないと、

一週間ぐらい前から

時計の秒針とにらめっこして

話を厳選したつもりでしたが、

やはり本番のプレッシャーはすさまじく、

時々頭が真っ白になり、

結果的に娘に小声で

「父ちゃんちょっと長い」

と言われてしまいました。

 

ガクン・・・!

 

で、これで終わりではありません。

披露宴の余興で

アコギで弾き語りをする、

という、

無謀ともいえる計画を立ててしまったのです💦

 

披露宴の最後あたりに、というので、

会場も打ち解けた雰囲気になってちょうどいいや、

と思ったのですが、

食事が全く喉を通りません。

高級フレンチのフルコースで

高級ワインも飲み放題だったのですが、

一切記憶にございません。

覚えているのはパンがおいしかったことかなあ・・。

ワインなんて緊張を和らげるための気付け薬みたいなものです。

 

目の前の息子に、

自分の分も平らげてもらいました。

 

そうして最後のデザートの時に

いよいよ僕の余興の出番がやってきました。

 

30年以上前の新入社員の時、

裸で踊れと言われて自我を捨てたあの日を思い出し、

周りの親族をかぼちゃだと思って

”まな板の上の鯉”の心境で、

長渕剛の「乾杯」をやりました。

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 とにかく無心で歌い切りました。

そんでもって曲の最後に

ちょっとした”おかず”を入れてみたのですが、

見事失敗。

 

ああ、恥ずかしい!

生まれてすみません!

 

みんなは良かったよ、と言ってくれましたが、

そう言われれば言われるほど

押し入れの中に入りたい気分になりました。

 

やっとお役目が終わってほっとしたら、

もう最後の〆の時間。

新郎新婦と二人の両親が列席者の前に立ち、

二人からのメッセージと

新郎の父からのご挨拶です。

 

新郎のおとうさんの

心から絞り出されるような言葉は、

ものすごくずっしり響きました。

前日は一睡もできなかったという

新郎君の言葉は、

まじめで優しいしっかりものの性格を表しているようで、

本当に感極まりました。

 

そうして娘(花嫁)からの両親への言葉はというと、

僕が号泣しないように

笑顔で爽やかな笑いを誘う言葉でしたが、

一瞬、やばい!と思った一言がありました。

 

それは、

「私は今の自分が大好きです」

という一言でした。

 

涙こそこぼれませんでしたが、

式が終わり帰る途中

ずっと頭の中でリフレインしていて、

家に着いて風呂に入って

一人飲み直し始めたら

ボディブローのように効き始め、

堰を切ったようにポロポロと涙がこぼれてしまいました。

 

自分を愛せるということは

他人を愛せるということです。

ああ、二人は大丈夫だ・・・

そう思うと同時に、

父ちゃんもそうなってよ!

と言われたようで

グサリと刺さりました。

 

子供は親が思う以上に親を見ていて、

親が想像する以上に

自分の生き方を創造しようとしているのかもしれません。

 

そう思ったら

うれしさやほっとした安堵感に混じり、

急に寂しさがこみあげてきました。

 

どんなに子離れしたと思っても

どこかで子離れできないでいる。

それが親の本性なのかもしれないと、

初めて悟りました。