週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

コロナで変わった家族の距離感

新聞で読んだのですが

コロナで夫婦や家族が一緒にいる時間が

長くなって、

DVが増えているのだとか。

さらに「コロナ離婚」も増えているのだとか。

かと思えば、

結婚相談もいつもの2割増しだとか。

 

急にきちんと向き合う羽目になり、

いつもの距離感が変わって

相手のいらなさ・大切さに

はたと目覚めたのでしょう。

ぼーっと生きてんじゃねーよ!と

コロナに怒られ、

まじめに考えだしたってことでしょうか。

 

かくいう我が家はというと、

僕はそもそも自宅が事務所なので

基本は家で仕事なのですが、

そこに2日に1日は

テレワークになった妻がいる、という変化が起きました。

 

果たしてその雲行きは?というと・・・

 

 目の前で同じように無言でPCでピコピコやりながらも、

思いついたように

「そういえば、今日は昼何食べる?」とか、

「ベランダの花、今年は元気だね」とか、

「あれ、とらとこた(猫のこと)どこ行った?」とか、

どうでもいいような会話が、

お互い聞いているようで聞いていないにもかかわらず

ちゃんと成立しているのだから不思議です。

仕事に飽きたら

妻は気晴らしに掃除機をかけたり

僕は散歩がてら夕飯の買い出しに出たり、

仕事と家事を行ったり来たりしながら

一日が終わるのですが、

それはそれで意外と効率的で新鮮です。

 

夕方5時過ぎになると

時差出勤している息子が帰ってきます。

筋肉をつけることしか頭にないので、

帰ってすぐの一声は

「ごはん何時?」です。

なので7時半には夕飯になります。

外で飲んだり食べてくることがないので

ここのところずっとそうです。

 

夕飯の間、妻と息子はしゃべりっぱなしです。

あーだこーだ今日あったことを

吐き出すようにしゃべりまくり、

僕はそれを聞いているだけでもう十分なのですが、

おしゃべりに入ってこない僕を

妻は「暗い」「つまらない」と言いますが、

僕はそうではなく「静か」なのだと主張します。

逆に僕は妻を「うるさい」「しつこい」と言うのですが、

妻はそうではなく「明るい」のだと主張します。

 

まあそういう考え方もあるか・・・

どこまで行っても平行線のわけだ。

そう気づけたのも

家族の距離感が変わったからかもしれません。

 

そうして夜の10時半には

全員就寝してしまいます。

 

翌朝。

時差出勤の息子が5時に起きると

猫も鳴き出し、

一斉に朝が始まります。

僕はというと7時半ぐらいに

もぞもぞと起き出すのですが、

歯を磨いてお茶を飲んで一息ついた後、

服を着替えてモードが切り替わる8時過ぎごろには

仕事のメールが次々と入ってきます。

みんなテレワークになっていて

朝通勤する必要がないので、

仕事開始が早いのです。

 

だから午前中の長いこと!

 

今までは午前中は仕事の準備、

午後に入っていよいよ開店!

といった感じでしたが、

全体的に仕事のスタートが

2時間から3時間ほど早まっている感じがします。

 

この感じ、僕は悪くないなと思っています。

コロナ禍が去っても

こんな生活のリズムが定着すれば

ワークライフバランスなんて頭でっかちの話は

どこかに吹き飛んでしまうでしょう。

それでもみんなが幸せだと感じられる経済規模で

もう十分だと思います。

いまはその過渡期で

多くの人が血や汗を流していますが、

その苦難の先にあるべき社会が

ところどころ顔をのぞかせているようで、

国も経済界も

この変化への感度を高めつつ

いまの課題に取り組んで欲しいと思います。

それが想像力ではないでしょうか。

 

働き方改革の一環として

2017年から7月24日はテレワークの日、

になっていて、

今年もそうらしいですね。

「テレワーク率があがった」とか「●●件に増えた」とか

そんな目に見える量で評価するのではなく、

暮らしの中のこころの機微に想いを寄せて

質的未来を議論して欲しいものです。

 

次の総選挙は、そこら辺を是非問いたい!

 

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