週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

体育・音楽・美術(図工)は”幸せ”をつかむ自己表現の一つ

妻はヒップホップをやっています。

年に1回発表会があり、

それに向けて月1回程度

レッスンに行っているのですが、

コロナでレッスンが中止になっています。

 

そうしたらインストラクターの先生が

みんなに会えないけど

こういうときだから元気を出して!

と、生徒たち(妻たちのこと)に

ダンスを踊っている動画(模範演技)を

送ってくれました。

これだけでも十分に粋なのですが、

ここからがまた粋でして、

それを見た生徒たちが

先生が送ってくれた動画(音楽)に合わせて

パートごとに分かれ思い思いのダンスをし、

それをつなげた全員参加のダンス動画を制作し、

先生にプレゼントしたのです。

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「密」が必須と思われるダンスですが

こんな楽しみ方もあるんだ・・・と思いました。

 

なんだかにやにや楽しそうな妻を横目に

僕はというと、

ギターを買って新しい曲に挑戦したり

アートを買って眺めたり、

出費が伴いましたが

外出自粛の中で充実した時間を

見つけかけたような気がします。

 

そんな生活の中で

あらためて確信したことがあります。

これは特に小さいお子さんのいる

お父さんやお母さんに伝えたいことなのですが、

 

国語・算数(数学)・英語・理科・社会といった

いわゆる受験に必須の5教科ではなく、

体育・音楽・美術(図工)といった科目を

是非大事にして欲しい。

 

ということです。

 

もちろんその道に進ませたほうがいい、

ということではありません。

その道に進ませるよりも

5教科を勉強し

誰もが目指す大学に行ったほうが

仕事や給与みたいな経済面では

可能性や確実性が高いかもしれませんが、

”幸せ”という点では

体育や音楽、美術(図工)の方が

ずっと役に立つのではないかと思うのです。

 

それは、体育も音楽も美術(図工)も

全部「自己表現」と直結しているからです。

 

全身で自分を表現するのは体育。

歌や楽器で自分を表現するのは音楽。

絵や工作において自分を表現するのは美術(図工)。

 

それが出来て楽しめる人というのは、

前代未聞のウイルスが蔓延しても

収入が少なくなっても

どんな僻地に暮らしても

一人ぼっちになっても

人や未来と繋がっていける”強さ”を

身に着けていると思います。

 

そしてその力こそ

”幸せ”をつかむ力なのだと、

コロナ禍の中

還暦間近になってようやく気付きました。

 

5年ほど前でしょうか。

高校時代のクラス会が福島の田舎でありました。

一応進学校で

クラスの約7割は大学に行き

地元に帰らずに東京などに就職し、

残りの3割は大学に行かず

家業を継いだり地元の会社に就職していたのですが、

多くが集まって朝まで飲んで語り合ってわかったことは

いい大学を出て東京に就職した人間ほど

病んでいる印象を受けました。

A君は大学を中退しちょっと変な宗教にのめり込み

B君はソニーに就職したものの

肝硬変で亡くなり、

学年で一番頭の良かったC君は東大に行き

東京電力に就職したのですが、

東日本大震災で起きた原発事故の自責の念で

みんなの前に顔向けできない、といって

欠席でした。

 

それに対して

運動抜群だったD君は地元の消防団に入って

大活躍。

同じ運動抜群のE君は米農家を継いで

ブランド化させようと楽しそう。

技術が得意だったF君は

地元の会社に勤めながら

趣味のDIYで

雑誌『ドゥーパ!』に

ちょくちょく取り上げられているとのこと。

このクラス会を企画してくれたのはF君で、

東京就職組にはこれを実行できるパワーは

なかったように思います。

 

今になってふと思うことがあるのです・・・。

僕は中途半端に成績が良く

周りに尻を叩かれてそこそこの大学に行き

当時人気の広告業界に就職し

勝った気になっていたのですが、

嫌いな勉強なんかせず好きな音楽などをやって

田舎でカフェでもやったほうが

幸せだったんじゃないかと。

 

いや、まだ遅くない!

これからの人生を幸せにするんだ!ばかり

八ケ岳と二地域居住しているけど、

それはどこかで

故郷に居場所を見つけようとしてこなかった

自分を悔やむ自分がいるからではないかと。

 

この年になると誰もが考えるのは

定年後どうやって時間を過ごすか、です。

ずっと頭でっかちでサラリーマン一途だった人は

それを頭で考えがちなので

本当の答えなど出てこないのです。

それもわかってるのでしょうが、

そこから脱出できるほどの強い好奇心や

行動力がついていかないのです。

 

コロナ禍の自粛生活で

ギターを買ったりアートを買ったりしてしまったのは、

そこに自分の”幸せ”があると

昔の自分が目覚めたからのような気がします。

 

そんな音楽やアートに囲まれて

育った田舎にも似た山小屋で

自分のリズムで自己表現をしていこうと、

そう思うと、

遠回りしたけどこれからを慈しむ舞台は

十分そろったような気がしているのですが、

なにせコロナでなかなか行けない・・・。

 

早く山小屋に行きたい💦