週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

生死についての僕の考え

9月3日に

とてもお世話になっていた先輩が亡くなりました。

2年前に脳梗塞で倒れたものの

一命をとりとめ、

リハビリで少しずつ元気になってきた矢先のこと、

誤飲性肺炎でした。

享年74歳。

 

そんなこともあってか

ここのところいずれ来る死の時のことを

何となく考えていました。

 

日本人の平均寿命を考えてみても

僕は残りあと20年ぐらい。

 

「人生残り少ないのなら

悔いがないように楽しもうぜ!」

と思う時もあれば、

「人生残り少ないのなら

無理して楽しもうとせず早く死ねばいいのに・・・」

と思う時もある。

 

いや、そもそも楽しいと思う時って

どんなときかわからなくなる時があるので、

楽しもうと無理している自分がいるような気がして。

 

でも、色々考えていたら

少しだけ自分なりの結論に至りました。

 

平均的にみると

僕はあと20年+αで死にます。

誤差はあれど、

間違いなく死にます。

死んだらどこに行くかというと

僕は生まれる前の世界に戻るのだと思っています。

生まれる前の世界の記憶なんてありません。

ですので死んだらどこに行くのかなんて

わかるはずがありません。

ただひとつ、わかることは、

生まれる前の世界にずっといられたら

いられたのかもしれないけれど、

そうじゃない今いる世界に

ひょっこり現れてしまったということ。

誰がそうしたのかはわからないけれど、

運命なのか何かの間違いなのか、

とにかく今いる世界での

いずれ終わりが来る物語を

今現時点で紡いでいるということ。

 

そうして僕はその物語の主人公であるということ。

 

そう、僕は僕の物語の主人公。

でも、物語は自分一人では成り立たない。

脇役やエキストラがいて、

太陽や緑や人間以外の生き物が

舞台を飾っていくれているからこそ

面白くなる、というもの。

だから僕は

物語を作れている。

その物語を面白くしてくれているのは

他でもない僕の周りにあるすべて。

 

感謝しないといけないのです。

僕の周りにあるすべてのものに。

 

でも逆に言ってしまうと

僕だって誰かの物語を彩っているエキストラの一人です。

 

今日買い物の途中、

すれ違いざまに自転車から荷物が落ちた

女の人がいました。

思わずそれを拾ってあげると

ありがとうございます!

と言って去っていきました。

 

僕の人生の物語にとっては

その物語の瞬間を彩ってくれた出来事でした。

でも彼女の人生の物語の中で、

僕はその物語をほんの少し彩った

瞬間の脇役だったのです。

 

そうやって考えてみると、

僕は自分が主人公である物語を創作しつつ、

すべての人の物語の脇役でもあるのです。

 

つまりは少なからず

いずれピリオドが来る

すべての人間の物語を輝かせることに

寄与しているのです。

 

そう思うとうれしいし、

もっと役に立ちたいと思う。

だからもっといろいろな経験をしたいし

いろいろな人と出会いたいと思う。

 

でも、そこで絶対にしてはいけないこと。

僕の物語の創作のために

誰かを無理して舞台の上に引きずり込まないこと。

同じように、

自分は誰かの物語を彩る脇役でしかないのだから

一生懸命尽くさないと、と思わないこと。

 

過去はあるけれど

未来はないと思ったほうがいいと思う。

それは絶望とは違うのです。

未来へ望むことを考えるより

今が過去であり未来であると思ったほうが

希望に繋がるのだと思います。

 

よく希望は未来にあるように思われがちですが、

希望こそ今この瞬間のことを言うのだと思います。

 

最初の問いに戻ります。

楽しいって思えることとは何か、

という問い自体が間違っているのです。

楽しいって思える瞬間があるだけなのです。

その瞬間に気づけるかどうか、がすべてです。

 

そのためには

自分は自分の物語の主人公を生きている、ということ。

同時に関係するすべての人の物語の

脇役でもあるということ。

ほんのちょい役でも

その人の人生をちょっとだけ

キラッと輝かせることが出来たらと思うと、

うれしいじゃないですか。

 

よく死ぬときに

あれもしたかったこれもしたかった・・・

と、後悔だけはしたくない、

と言いますが、

したいことを探したらきりがない。

それよりも未来への未練を捨て

今という過去に思いを馳せて、

そう言えばあのとき

誰それの物語のちょい役ででて

それはその人の物語を彩ったと同時に、

自分の物語もそれで彩られているんだなあ・・・

なんて思っていれば、

気持ちのいい死に方が出来るのではないかと思うのです。

 

そうやって生まれる前の世界に帰って行けば、

後悔なんて何一つないような気がするのです。

 

こう思うようになったのも

山小屋の雑木林のおかげかもしれません。