週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

親友の訃報に思ったこと

昨日の夜

高校時代の一番の親友、U君から電話があった。

すごい久しぶり!

そう言って電話に出たら

同じ親友のK君が亡くなったという知らせだった。

 

それも自殺とのこと。

 

ショックで言葉を失った。

 

K君は学年一頭がよく

将来は研究者になりたいと言っていたのだが、

大学を出て東京電力に就職した。

 

それっきりになっていた。

 

7年ほど前地元福島でクラス会をやった。

7割がたのクラスメイトが集まったのだが

K君は来なかった。

2011年の東日本大震災の後で

福島で生まれ育った身として

みんなに合わせる顔がない・・・

とのことだった。

 

クラスメイトとして

そんなことどうでもいい。

みんなそう思っていたのだが

本人にとっては想像以上の苦悩だったに違いない。

 

その彼が自ら命を絶った。

 

理由はハッキリしないが

震災後ずっと精神的に病んでいたらしい。

 

U君もショックだったらしく

電話の向こうは涙声で

急にお前は生きているのか心配になって電話した、

と言った。

 

俺は大丈夫だ。

それよりお前こそコロナに気をつけろよ。

 

医者であるU君の想いがダイレクトに伝わってきて

僕もなんだか泣けてきた。

 

ふと思い出した。

 

僕のいとこの子供は

少し知恵遅れのところがあって

高校を卒業した後

職探しをしたのだが

なかなか見つからず、

唯一見つかった仕事が

放射線除去の仕事だった。

 

4年ほど前だろうか、

彼に会ったとき

元気でやってるか?

と聞いたら、

片道2時間近くかかる仕事場は大変だけど

給料がもらえるのはうれしい、

と言って笑った。

 

そのときもなんだか視界がぼやけたのを覚えている。

 

年が明けたらあれから10年になる。

10年もたつのに

未だに福島のひとりひとりの心や暮らしに

影響を与え続けている原発事故。

 

山梨というこれまで縁のない土地に

もう一つの生活拠点を構え

いざというときのシェルターとも思っているのだが、

その出来事に正面切って向き合わずして

ラッキー!とばかり流行りの二地域居住を楽しんでいる

福島で生まれ育った自分が

無性に嫌になった。

そう思っても

何もできない無力さに

悲しくなった。