週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

「皇」(おう)の時代に向けて思ったこと

あけましておめでとうございます。

コロナの大波が押し寄せている中、

どのようなお正月を迎えられたでしょうか・・・。

 

コロナで終わった去年、

コロナで始まった今年。

 

普通の暮らしに戻れることを心より祈っています。

 

今日は1都3県が政府に緊急宣言を要請しました。

明後日ごろには政府から何らかのメッセージがありそうです。

 

緊急宣言が出されるのが早いとか遅いとか、

ワクチンはいつから供給されるのかとか、

副作用は大丈夫なのかとか、

命と経済のどっちが大事なんだとか、

いろいろな文句や注文、怒りや意見がありますが、

確かなことは

誰もが納得する正解を出せないこと。

政策が正しかったか間違っていたかは

所詮結果論でしかないことではないでしょうか。

 

去年から読んでいて

もう3周目になる本があります。

『大転換期の後 皇の時代』(しあわせ村)という本です。

なんだかもう絶版で、アマゾンとかで買うしかないような

マイナーな本ではあるのですが、

書いてある内容はこれまでの預言書なんぞと違って

すごく響くものがあります。

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宇宙は2500年を周期に大きく転換していること。

今はその転換期にあること。

「祖」の時代から「皇」(おう)の時代に向かっていること。

という話がベースにあるのですが、

 

「皇」の時代はどんな時代になるのかというと、

それはそれは様々な場面での信じられない変化が

起きるとされていますが、

僕がストンと腑に落ちたのは

「祖」の時代は不幸産業

(苦・痛・哀・病・老・死・戦・争・闘・競・怖・脅・欺・災・害・嘘・ごまかしなどの人々の不幸に備える産業)

で成り立っていたけれど

「皇」の時代になると幸せ産業がベースになり・・・、

・誰もが「魂職」(それをやっていると時がたつのを忘れるほど夢中になれること)に就くということ

・ゆえに競争とかの概念がなくなること

・ゆえに誰もが楽しい事や楽をして生きて行けるということ

・お金は数字でしかなくなりやがてはなくなる(ただになる)こと

・個が自立する時代になること

・それに至るまでウイルスなどによる浄化が行われること

です。

ほかにもいろいろなことが書かれていて

ものすごい面白いのですが、

ベーシックインカムとかワークライフバランスとか、

やりたい仕事がないとか、

会社という組織が崩れ始めているとか、

インターネットやSNSでの情報発信とか、

若い人の価値観が大きく変わっているとか、

コロナとか鶏インフルとか、

地球的規模の自然災害とか、

ユーロ圏の財政危機とか、

今現在世の中に起きていることは

すべて宇宙のプログラムによって起きているので

抗いようがないこと。

完全に「皇」の時代に入ったら

人は楽に楽しく

食べたいものを食べ

行きたいときに行きたい場所に行けて

とても素晴らしい時代になること、

らしいのです。

(この話はコロナのずっと前の理論です)

 

多分こう簡単に言ってしまうとと

笑っちゃうぐらいマユツバな話にしか

聞こえないかもしれませんが、

どこか今の時代と呼応している話なので、

信じるとか信じないとか

そういう次元ではなく、

これからの未来を読み解く本として読むと

とても考えさせられるのです。

 

で、その本を読んでいて

その転換期にいる還暦間近な僕が

今年はこうしよう、と確信したこと。

それは意識変換的なことかもしれませんが

こんなことを思いました。

 

●できるだけ気の合う人と時を過ごそう

→これまでは無理して人に合わせていました。

 

●嫌な人とは離れよう

→嫌だと思っても好かれないといけないと思っていました。

 

●損益勘定で動かないようにしよう

→お金のためだから頑張ってやろうとしていました。

 

●どんどん人に甘えよう

→自分で抱えてしまって袋小路入ってしまっていました。

 

●深く考えても反省はしない

→悪いことや嫌なことは自分に問題があったんじゃないかと思うクセがありました。

 

●好きや楽しいを最優先しよう

→何が好きで何が楽しいのか忘れかけていました。

 

●一人の時間をもっと堂々と

→一人で好きなことをやっていると後ろめたさを感じていました。

 

●来るものは拒まず去る者は追わず

→昔からそう思っていましたがもっと徹底しようと思いました。

 

●自分の直感を大切にしよう

→誰に何か言われないかとビクビクして直感を引っ込めていました。

 

●自分を一番愛することができるのは自分

→自分の本当を見ちゃいけないような気がしていました。

 

●すべての出来ごとは粛々として受け止める

→人間は何とか出来るしそれをするのが責任だと思っていました。

 

悪い人がお金を儲けて長生きするのに

いい人は何で早く死んじゃったりするんだろう?

とか、

これは正義でこれは悪だ、とか、

そんなことは人間だけが持つ価値観でしかなく、

宇宙のプログラムにとっては何の意味もない。

 

こういうとなんだか人でなしのように思われるかもしれませんが

こういってしまうと解放されたような気がします。

 

とにかく今生きている自分をしっかり見つめて

今こうして自分の中で脈を打っている自分を慈しみ

悲しい事や辛い事すべての出来事に目をそらさず

すべてを受け止め、

直感に正直に

たとえそれが家族であっても遠慮することなく

僕は僕という自分を大切にしよう。

 

そんなことを誓いました。

 

皆様のブログに新しい気づきや勇気をいただきながら

今年もゆっくりと歩んでいきたいとおもいます。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

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