会社員時代、
今からかれこれ25年ぐらい前のこと。
僕の会社はもろ男社会で
今でいったら犯罪だろ?と思われるようなことが
あたりまえのように闊歩していたのですが、
人事部がそれを警戒して
性差別についての講習会を開きました。
セクハラとかいう言葉がない時代のことです。
そこで講師の人が
女性の肩を触ったり腰に手をやったり
そういうことはいけないというようなことを
滔々と述べたのですが、
僕の隣にいた男の先輩が皮肉を込めて
「男性ばかりダメダメ言われるけど
なぜ女性が男性にタッチしたらダメじゃないんですか?
それこそ不公平じゃないんですか?」
というような質問をしました。
周りの男どもは
よくぞ言ってくれた!とばかり拍手を送ったのですが、
そこで講師の方の答えがさらに上回っていました。
「じゃああなた、女性に触られたら嫌ですか?
いい気持になるんじゃないですか?」
周りの男どもは
よくぞ言われた!とばかり大笑い。
その時僕は、
相手がどう感じるか、
その想像力の欠如の問題なんだ、
ということに気が付きました。
翻って森さんの発言について。
森さんは謝罪しましたが
ことの本質を理解していないと思います。
そして森さんの長女の方が
とあるインタビューで
「父が問題を理解するのは
年齢的に難しいと思う」
といったコメントをしていました。
長女の方曰く、
森さんは家庭では決して女性蔑視のようなことはなく
本当にいいおじいちゃんとのことです。
記事では
「家庭での姿勢を外でも貫くことができていたら
こんなことになっていなかったのでは・・・」
みたいな締め方をしていましたが、
この記事を書いた人も
ことの本質を分かっていないような気がしました。
また、某新聞では
男の上から目線みたいなことを強調していましたが
それもちょっとずれているような気がしました。
先ほど想像力と言いましたが
想像力というより思いを馳せる力だと思います。
自分の発言や行動が
それを見聞きしている人がどう感じているか、
その人の立場にから自分を見るという視点を持ち合わせているか、
その能力のような気がします。
森さんの発言が四半世紀前だったら
ひょっとして問題にならなかったような気がします。
ジェンダーレスが叫ばれている今
世の中は敏感に反応しますが、
でもそれだけこれまで精神的に
辛い想いや嫌な思いをした人たちがいる証で
僕らは、というより、
のけぞり返って男を謳歌した僕たちは
そういうことを全部ひっくるめて
もっと想いを馳せる力を身につけるべきだと思いました。
反省します、という言葉だけが伝わって
その本質は意外と伝わっていないよう気がして。
オリンピックがどうのこうのより
もっと大事なことを議論すべき時が来ているのかもしれません。