東京オリパラの開閉会式典の統括の佐々木さんが
渡辺さんの容姿を侮辱する演出を考えた、ということが
週刊誌沙汰になって辞任した。
渡辺さんをブタに見立てるアイデアだったそうな・・・。
記事の見出しを読んで、え~!そりゃまずいだろ!と思ったが、
僕の尊敬する佐々木さんはそんなことは決してしない人である。
佐々木さんは1990年の当初に
トヨタ自動車を担当されていて、
当時環境問題が爆発的に騒がれ始め
その矛先がトヨタに向かったときのことである。
彼が展開した企業広告キャンペーンは
「ドリトル先生」シリーズで
じんわりと人々の心をとらえ鎮めた。
キャッチフレーズが、
「クルマなんてなくてもいいと、ある日思った。
クルマがあってああよかったと、次の日思った。」
で始まり、
ドリトル先生が環境問題のむずかしさやットヨタの取り組み、
悩みなどを真摯に述べ、
「人が思っていることをトヨタも思っていたい」
という言葉でしめるというものである。
大企業トヨタと市民たちの間に立ちふさがる見えない壁。
その壁を見たのだと思う。
その壁を取り払って大きな巨人が
小さな市民の目線にしゃがんで
一緒になって考えて行こうよ、
自分たちもみんなと同じ気持ちなんだ・・・
というようなメッセージのありかたに
僕は結構目からうろこで感動した記憶がある。
佐々木さんはどらえもんが大好きで
その後もトヨタでドラえもんを使ったCMや
ソフトバンクの白戸家の人々シリーズ、
缶コーヒーの宇宙人ボス、
JR東海の「そうだ、京都へ行こう!」など
人の心を温かくするようなCMを手掛け続けた。
そのSさんがじゃあなぜ渡辺さんとブタを掛け合わせせたのか・・・
多分こんなふうに考えたんだと思う。
オリンピック、パラリンピックに共通するのは・・・
ピックだなあ。
ピック、ピック、ピッグ・・・豚。
オリンピックが世界の人々を勇気づけ感動させる
イベントだ。平和の祭典だ。
誰もが感動する開閉会式にしなくてはいけない。
ジェンダー問題なんかも含め世界中につらい思いをしている人が
たくさんいる。
そういう人の心に寄り添いたい。
豚は侮蔑的扱いをされている家畜だけど
人間はどれほどその恩恵にあずかっているかはかりしれないではないか。
その豚がキャラクターになるってのはどうか?
太った豚が一生懸命戦う姿。
容姿がどうあろうと精一杯自己表現する姿。
ある意味それが人をハッとさせるのではないか。
そんなチャーミングな豚をキャラクターにしよう。
そうしてそのキャラが本物になって現れる・・・
それはデジタルとリアルの融合で
未来の懸け橋も意味するではないか・・・。
じゃあリアルは誰に?
日本開催を考え世界中に愛されている日本人といえば・・・
渡辺直美!
そうだ、彼女に豚の恰好をしてもらって
生きる喜びを全身で表現してもらうってのはどうだ・・・?
みたいなストーリーが心の中に浮かんだんだと思う。
それでそのアイデアをチームメンバーに
「渡辺直美が豚になるのはどう?」
と簡単にラインで伝えたんだと思う。
結果的には微妙さはぬぐえないアイデアだと思う。
でもそのアイデアの生まれた背景は
同じ生みの苦しみをしているクリエイティブチームは
だいたいわかるものである。
わかったうえで、
でも今の時代それはネガティブに働くかもしれないので
もうちょっと工夫しようとか、
取り下げようとか議論すればいい話である。
そのラインの一言をもって
まるで酒飲みながら思いついたおやじギャグのごとくとらえて
S氏は渡辺さんを豚に例えた!
といって糾弾するのはあまりにおかしすぎると思う。
思考の魔女狩りをされているようで恐ろしささえ感じる。
僕は若い頃佐々木さんに教えてもらったことがある。
アイデアやコピーはとことんまで自分を追い詰める作業。
自分を崖のはしのギリギリまで追い込むのだ。
そうして追い込んでもいアイデアはまだ出ない。
そこから先、
もう一歩も下がれなくなったところで自分を崖から突き落とせ。
そうすると落ちずに飛んでいる自分がいる。
そこから生まれるのがいいアイデアだと・・・。
この生みの苦しみの過程を知っている人同士が
クリエイティブチームを作っていたなら
アイデアフラッシュの段階でチェック機能が働いたり
そこからどんどん話は膨らんだり、
あるいは新しいアイデアが生まれて行ったりするものだ。
その過程を軒並み闇に葬るようなことのような気がして
やはりそこには心を割って話せるチームじゃなかったのか、
そういう環境じゃなかったのかを疑いたくなる。
東京にいるといろいろ頭で考えてしまうなあ・・・
今日から久しぶりに山小屋に入ります。。。