週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

日本でもチップ制があったらどうだろう?

僕の東京のマンションから

歩いて5分ぐらいのところに

ドトールコーヒーがあります。

 

ドトールというとビジネス街や繁華街にあって

のんびりくつろぐというよりは

安いカフェインで時間を調整するカフェ、

といったイメージがあります。

ですがここのカフェは

地元のじじばばに愛されていて

ちょっとした井戸端会議の集会所になっています。

 

というのも

店員がとてもフレンドリーなのです。

 

じじばばどもが来ると

席をこしらえてあげたり、

体の調子はどうかと聞いたり、

遅れて来るじじばばがいるか聞いたり、

世間話に乗ってあげたりと、

とても気づかいがいいのです。

じじばばもその店員さんと話したくて

やって来ているといっても過言ではありません。

 

いつだったか午後のまどろみの時間帯に

韓国人らしき中年女性がカウンターで

いきなり日本語で大声で怒り始めました。

「ちょっと!

なんでコーヒーカップで出すのよ!

私は紙コップで欲しかったのに!

なんでこの店はコーヒーカップか

紙カップか聞かないのよ?

常識じゃない!」

そう5分ほど一方的に怒鳴り続け

最後はいらないわよ、こんなの!

と吐き捨てて出て行きました。

店員は相手の理不尽な怒りに臆せず

店内ではコーヒーカップで

ご提供するお店ですのでご理解ください、

と一歩も下がりませんでした。

 

女性が出て行ったあと

ポカンとしたじじばばどもにその店員が歩み寄り

うるさくしてしまってすみませんでしたね💦

とにっこり。

「おかわりはいいですか?」

そう聞く店員にじじばばどもは

「まったく変な人もいるものねえ・・・

あなた、大したもんよ!」といって

そのクレーマーを無事にかわした態度にひとしきり感心し、

おかわりを注文していました。 

 

僕はこのドトールを行きつけのカフェにしています。

コーヒー音痴の僕ですら

ドトールよりもおいしいカフェがあるのはわかりますが

なんてったって人間関係の居心地がいい。

 

ふと思うことがあるのです。

日本の飲食店にはサービス料が含まれていますが、

その妥当性を考えたことはないと思います。

そのサービス料をチップ制にしたらいいのではないでしょうか?

お金のない若い人の人を気遣う気持ちに

ちょっとだけお金に余裕があるお年寄りの気持ちが

お金になって渡される。

その気持ちの交流に世代の格差が薄れていく。

僕ももうじきにじじばば世代になりますが、

もしもこういう店員さんがいて

不自由な体や回転の遅いおしゃべりに

付き合ってくれたら、

ありがとうね!といって

喜んでチップを渡すし

また来たいと思うのです。

 

そういう世代循環を作れるのは

チップだったりするのではないかなあ・・・と

ふと思った今日でした。

 

おしまい。