週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

僕の原風景

北杜市の山小屋から

実家の福島に行って老々介護の両親の様子を見て、

その晩は那須塩原に1泊して

昨日東京に戻りました。

 

北杜市から軽井沢を通って

上信越道・北関東自動車道から東北自動車道に入る

ルートで行ったのですが、

300キロ以上ありました。

山梨と福島、

近いようで遠い県です。

 

栃木や福島が近くなると

周りの風景は僕の原風景に重なってきます。

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色づき始めた稲穂が地平のどこまでも広がっている様子。

まだまだ夏の日差しは照りつけるけれど

蝉の鳴き声は遠ざかり

その代わり虫の鳴き声が聞こえ始めると

何故か無性に郷愁感に襲われたものです。

 

この関東ローム層に広がる

だだっぴろい田んぼの風景には

僕のあらゆる記憶がしみこんでいます。

楽しかったこと。

辛かったこと。

田んぼに落ちて恥ずかしい思いをしたこと。

先輩に呼び出されて殴られたこと。

憧れの女の子と歩いたこと。

体育の授業で走らされたこと。

美術の授業で描かされたこと。

部活の帰りに仲間と自転車で競走したこと。

学校に行くのが嫌でさぼって昼寝をしたこと。

家に帰るのが嫌で夕日を眺めていたこと。

アイスを落としてまた拾って食べたこと。

溶けた残りがアスファルトにしみ込み

蟻が集まって来てこと。

青大将が蛙を飲み込もうとしていたこと。

イナゴを取って佃煮にしてもらったこと。

都会では青い海・青い空・水着の女の子なのに、

ここでは青い空・緑の田んぼ・ジャージとヘルメットの女の子。

あまりの落差にこの風景を憎んだこと。

などなど・・・。

 

この風景が嫌で田舎を出て行ったのですが

結局この風景が捨てられない。

 

この風景にしみ込んでいる

いい記憶だけを残して

嫌な記憶を消し去ろとするのですが、

嫌な記憶を消そうとするといい記憶も消えていく。

いい記憶を思い出そうとすると嫌な記憶もついてくる。

どうして記憶を分けられないのかな?

 

だったらいっそのこと

今からでもこの記憶のキャンバスを変えてみたらどうだろう?

そこにいい記憶を上書き出来たら

嫌な記憶は相対的に減っていく。

 

じゃあそのキャンバスは海がいいのかな・・・

なんて思ったことがあったけど、

これまでの僕の記憶に海はなかった。

だから海をキャンバスに新しい記憶を上書きする自信がなかった。

やっぱり田んぼはあってほしかった。

でもこれまでとはちょっと違う田んぼの風景、

僕は安心していい記憶を積み重ねて行けそうな

居心地のいい人生の創作地はどこか、と探していたら

遠くに富士山が見え

八ケ岳と南アルプスが目の前にそびえ、

その麓に段々と田んぼが現れる

山間の里山に出会った。

それが北杜市でした。

 

窓を開けると雑木林。

10メートルも歩くと富士山や南アルプスが見え

福島とは違う田んぼが遠慮がちに顔を出す風景に

人生後半戦のいい記憶作りに挑戦することにしたけれど、

今のところそれは完璧なほど成功していると思います。

せっかくなので山小屋では嫌な記憶は作りたくないと思って

過ごしています。

おそらくもう福島には戻らない。

 

そう言えば那須塩原から東京へは

栃木・茨城を通って下の道でのんびり帰ったのですが

途中のスーパーで

なんともう今年の新米(コシヒカリ)が出ていました。

なんと、5キロが¥1,580-!!

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学生時代に過ごした第2の故郷の米の味には

果たしてどんな記憶を呼び覚まされるのかな・・・?