週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

山小屋での気づき

特殊伐採した時の余韻が

いまだにここ東京でも残っています。

 

日当たりも風通しも良くなった西側。

 

夕刻、テラスにチェアを出して

ビールを飲んでいたら

ふと、なぜか思いついたこと。

 

「自然を制する者は、地球を制す」

 

そんな風にして高度成長を果たした人間にとって

次なる課題は人間関係。

 

そこで

「人間関係を制する者は、社会を制す」

 

そんな風にして

更なる利益拡大を試みてきました。

 

ところがコロナウィルスや

ロシアとウクライナの戦争とか

予期せぬ出来事で

そんな計画はもろくも崩れ落ちてしまうという

フラジャイルな夢でしかないことを知った人間。

 

何故か”風の時代”などといわれる変革期に

それを知ったのは

偶然だったのか必然だったのか。

 

僕は小鳥の鳴き声や川のせせらぎの音を聴きながら、

今年初めてのセミの鳴き声を聴きながら、

雨上がりの日差しに身をゆだね、

ちょっと日焼けした腕を眺め、

東京では得られない満たされた気分に満たされながら、

伐採した丸太が冬の糧となってくれることに安心しながら、

こう思いました。

 

「制したいという気持ちを制した者が

本当の幸せに至る」

 

山での気づきは

時として真理なるものらしきものへ

導いてくれる時があり、

その瞬間は

何故か全身にエネルギーが湧き出るのがわかります。