昨日は
僕の娘にとって”はとこ”にあたるYちゃんの
結婚式に参列してきました。
Yちゃんは娘より少しだけ年下の女の子。
親同士も仲良かったので
小さい頃からよくご一緒させていただき、
学生時代は娘がYちゃんに家庭教師をしたこともありました。
その幼い頃のYちゃんしかイメージしていなかった僕は
ウェディングドレスを着飾った純白の姿を目の当たりにし
軽いショックを覚えました。
昨日の前日までのYちゃんがさなぎで
結婚式当日に羽化したなんてわけはないはずなのに、
いきなり大きく美しく羽を広げる
アゲハ蝶を目の当たりにした気分でした。
不思議なことに
僕は自分の娘の結婚式では涙が出なかったのですが、
Yちゃんの結婚式ではいろんな場面でボロボロ涙がこぼれ、
それを隠すために
マスクを付けたままでいました。
「涙もろくなったね。歳だね~」なんて笑われましたが、
なんでこんなに涙が出るんだろう?
ヴァージンロードを歩く時。
スピーチをしている時。
衣装を変えて再び現れた時。
友人が歌を披露してくれた時。
涙が出るのは心を揺さぶられた証拠なのですが、
心を揺さぶられる瞬間というのは
僕の場合若い人の
”精一杯表現する姿に出会った時”
と言えるような気がしました。
衣装もスピーチも歌も全部表現です。
その表現する刹那に現れる輝くチカラに
生きることの意味を諭される、そんな感じです。
どうして娘の時に涙が流れなかったのかなあ、
と考えると、
やっぱりどこかで娘として見守っている父としての自分がいて
そのチカラを感じ取るような余裕もないし
距離感でもなかったような気がします。
披露宴の間に
僕のテーブルの還暦組は
なぜか還暦お祝いをやろうね、
という話で盛り上がっていました。
「今日結婚した二人や
Rちゃん(僕の娘)夫婦など
若い人呼んで、盛大にやろうよ。
で、それは若い人からお祝いしてもらうのではなくて
私たちからの感謝の気持ちを述べる場にしない?
60歳まで元気に生きてこられたのも
みんながいたから。
ありがとう、という場にしよう。
だからお金は私たち持ち」
そんな同じ還暦のいとこの提案に賛成です!
披露宴が終わって外に出たら夜の帳が下りていました。
飲み疲れ・泣き疲れで朦朧となっていた頭に
リフレインしていたフレーズがこれ。
生きる力を借りたから、
生きているうちに返さなきゃ。
(BUMP OF CHICKEN「花の名」)
新しい人生の門出の式に
生きる力をもらった一日でした。