週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

安倍元総理の銃撃事件で思った違和感

昨日の安倍元総理大臣の銃撃事件は

ショックでした。

言動や行動から

庶民とはおよそかけ離れた人だと

期待はしていませんでしたが、

一生懸命やっている姿勢には

期待していました。

言葉が出ずただただ涙がこぼれました。

 

一日経って今日まで

メディアでいろんな人がいろんなコメントを寄せています。

特に同じ議員の方々やマスメディアは、

「民主主義への冒涜」とか

「民主主義への挑戦」とか言って、

「民主主義はこんなことで決して崩壊しない」とか

「民主主義を守る」などと

ことごとく怒りのこぶしを挙げています。

 

でも僕はなんとなくこの「民主主義への挑戦」的な解釈に

違和感を感じました。

 

犯人は安倍元首相の政治理念に反対していたわけではありません。

家族が新興宗教団体にお金を吸い上げられ

その怒りの矛先が宗教団体の長ではなく、

宗教団体に関与していた安倍元総理に向かったという話。

つまり極めて個人的な恨みです。

 

言い換えれば

こころに溜まった鬱憤や怒りを放出するための犯行であり、

一番それを放出できるのがたまたま安倍元総理という

政治家だったのではないでしょうか。

もしも安倍元総理以上にそれが放出できるのであれば

有名であればあるほど

誰でもよかったのではないかと思うのです。

 

僕は今回の容疑者の犯行は

経済的にも精神的にも格差が広がる

社会に虐げられて、

絶望と共に暮らす人々の不満や怒りが

起こした事件だと思いました。

どこかで読んだ記憶があるのですが

自殺する人と殺人を犯す人は同じ絶望感にある。

自分を殺すか、他人を殺すか。

その矛先が変わっただけの話。

もう自暴自棄になっている状態だと思います。

そこに”打倒!民主主義”なんて高尚な理念は

ないのではないかと思うのです。

だから「民主主義への冒涜だ」となるのは

ちょっとずれているように感じるのです。

もちろん安倍元総理が倒れたという結果に

民主主義に銃弾を撃ち込まれたような事態になったのは

紛れもない事実ですし、

こころに鬱憤をためてしまうような人を増やしたのは

民主政治の責任というのもわかるのですが。

 

明日は参院選の投開票です。

僕はもちろん投票に行きます。

僕の1票がどこまで届くか

あまりにもむなしい行動のような気もするのですが

この1票の積み重ねが

世の中を動かすのは事実です。

 

僕は今回の事件を受けて

立候補する方には

許されない!

民主主義を守るぞ!

なんてことは言ってほしくありません。

それよりも

絶望と共に暮らしている人がたくさんいることを、

命をいさめるに至るまで

思い悩んんでしまっていることの重大性を、

肝に銘じてほしい。

本当に安倍元総理の死に報いたいと思うのなら

希望を知らず絶望と共に

日々をかろうじておくっている人々からのメッセージだと思って

むしろ反省と共に選挙に臨んで欲しいと思いました。