週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

もっと懐の深い社会になればいいなあ。

昨日家を出て駅に向かおうとしたら

3件隣のマンションから若い男女が出てきて

僕の前を歩き始めました。

 

二人とも会社勤めなのでしょう。

きちんとした身なりでスタスタ歩いていくのですが

かすかに手を握ってみたり離してみたり

そうかと思うと肩を触れ合わせたり。

 

新婚なのかな。

僕の娘の世代かな。

なんて思いを馳せたら

ほほえましく思えてきました。

 

そして今日、同じ時間に家を出たら

昨日と全く同じように二人が出てきて

僕の前を歩き始めました。

二人とも昨日と同じように仲睦まじく歩いていきます。

なんだか妙に親近感がわいてきました。

 

そして夜になって最寄りの駅から家に帰る途中のこと、

ふと目をあげたら

朝出会った二人のうちの女性の方が

すぐ前を歩いていました。

 

あ、朝のカップルだ。

そう思ったら声をかけたくなりました。

 

「今朝お見掛けしましたよ」

「ご近所さんですよね」

「お二人ともお仕事されているんですか?」

「仲がよさそうでいいですね!」

・・・

などなど。

 

でも声をかけるのはやめました。

いきなりそんなふうに見ず知らずのおっさんから声をかけられたら

やばいでしょ!

ストーカーになってしまうでしょう!

でもそんなふうに話しかけたい気持ちを飲み込んでしまったら

なんだか無性にやるせない不自由を感じてしまって。

 

これがもしも八ヶ岳だったら

そんなふうにはならなかったような気がします。

むしろ声をかけたことをきっかけに

お友達になれるような気がします。

 

 

人は精神的にも肉体的にも心地いい関係を保てる

距離感というのがあるような気がします。

その距離感は個人によって違うのでしょうけれど

度を過ぎて近くなったら遠ざかりたいと思うし

度を過ぎて遠くなったら近づきたいと思うし、

まるで猫のような繊細さで計っている生き物のような気がします。

 

果たして僕は

距離感が近い都会と

距離感が遠い田舎と

どっちが自分にとって気持ちがいいのだろう?

 

考える間もなく僕は後者のタイプです。

ちょっと寂しいぐらい離れた距離感を

一言の会話で縮められた瞬間に喜びを感じるタイプです。

 

ひょっとしてその距離感を保つための媒介者が必要で

それがペットだったり庭の花だったりするのかもしれません。

 

月並みですが

生きづらい世の中になってきたなあ・・・と

しみじみ思いました。

 

娘が言うには

最近若い世代でもいろいろと監視される社会に嫌気がさし

「●●ハラ」といった言葉に惑わされずに

もっと自由に表現しあおうよ、

なんて機運が高まっているといいます。

 

そりゃ人間同士ですから嫌なこともあるでしょう。

それを排除することで幸せを追求する社会より

それを丸ごと受け止めることで

いろんな感情が渦巻く多様性を楽しめるような

懐の深い社会になればいいなあ・・・

などと60歳のおっさんは思いましたとさ。

 

おしまい。

 

 

 

菜園アドバイザーが教えてくれる【シェア畑】