週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

政治とは子供たちというクライアントに対するプレゼンの場ではないか。

例えば仕事で

一か月後にプレゼンの

オリエンテーションがあったとします。

 

オリエンを受けてスタッフを集めて

すぐさまキックオフミーティング。

それから3週間ぐらいは

みんな各人がアイデアや意見を出し合います。

 

出されたアイデアや意見について

最初のうちは誰も否定しません。

いいね!

おもしろい!

なるほど!

そうか、その手があったか!

などなど・・・。

 

それから時間がたって

プレゼン一週間前ぐらいになると

会議の雰囲気は俄然変わっていきます。

 

各人の意見に、

それは面白くない!

それはかつてやったことがある!

そもそもそれはコスパに合わない!

などなど・・・。

 

プレゼンが近くなればなるほど

たくさん寄り集まったアイデアや意見が

どんどんブラッシュアップされ

磨かれていくのであれば

とてもいいことだと思います。

 

でもそういう場面にたくさん接して思うのは、

みんな最初の頃出し合ったアイデアや意見に

自分は違うと違和感を感じていても

それを言わず周りの雰囲気に合わせてしまおうとしている、

そんな感じの方が強いのです。

 

これを忖度というのならそうかもしれませんし、

僕はこういう場の雰囲気を読むことは

場の緊張感を和らげるのに役立つので

全く悪いことだとは思っていません。

 

ただ、問題は、

プレゼンが迫ってくれば来るほど

自分のアイデアや意見を正当化するがために

ぶつかり合うことが多くなることです。

本音と私利私欲が剥き出してきます。

 

仕事柄僕は

第三者の立場で意見を言い、

最終的にそれを提案書にまとめる役目なのですが、

結局ぶつかり合ったアイデアや意見は

ぶつかったままで、

「ということで、あとはよろしく!」

と放り投げられます。

 

放り投げられた僕は、

放り投げられた数々の球から

一本の軸を見出し、

それをコンセプトと称して

取捨選択しそぎ落としていきます。

 

そぎ落とされた人には

任された以上そうなっても

文句はいわないでください!

と言ってから作業に入ります。

 

もしも出されたアイデアや意見を

全部盛りにしてプレゼンしたら

間違いなく負けです。

 

おたくの提案は筋が通っていない!

コンセプトがばらばら!

そもそも僕たちのために考えてくれているのですか?

 

そう言われてしまうのです。

 

 

さて、

仕事の話をするつもりはありませんでした・・・。

 

このようなプレゼンを目前にした

本音丸出し、

私利私欲のアイデアや意見が

噴出している状態が、

今の世界中の政治に似ているなあ・・・。

 

そんなことを言いたかったのです。

 

3年ぐらい前までは

このやろう!そうじゃないだろう!

と心の中で思っていても、

やっぱり仲良くしないと戦争になるし・・・

そんな本音を押し殺した笑顔が

政治家の中に円満していたような気がするのですが、

今は世界中が自国の本音や都合を丸出しにして

誰のためにプレゼンしようとしているのか

すっぽりと抜けて

ケンカしているような気がします。

 

待ったなしのプレゼンに向けて。

 

そんな途中経過を見て

あなたたち、何しているの!

と喝を入れたのが、

16歳の環境活動家、

グレタ・トゥンベリさんでした。

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(HUFFPOSTのHPより拝借しました)

 

23日の気候変動サミットでの

彼女の発言には

往復ビンタを喰らったような気分でした。

 

”若者たちはあなたたちの裏切りに

気づき始めている。

私たちを見捨てる道を選ぶなら

絶対に許さない”

 

という怒りの発言に、

トランプ大統領は、

”明るく素晴らしい未来を楽しみにしている、

とても幸せそうな女の子みたいだ。

見られてよかった!”

と皮肉ってツイートしつつも、

突然会場に現れた理由を聞かれて

”きれいな空気と水が好きだから”

と答えたと言います。

 

前者の意見については

子供をからかったような大人目線の意見だと

賛否意見が飛び交っているようですが、

僕は

強がる大人たちの中にくすぶる

子供の自分との葛藤に

ジャストミートしたのではないかと思っています。

 

ひょっとして政治とは、

小さな子供たちというクライアントに向けた

プレゼンテーションの場ではないかと、

思いました。

 

選挙権がどうのこうのではなく、

ずっとこれから先を生きる

世代たちのために

世界中が一つになれる

コンセプトを作るのが

今の政治の役割ではないかと。

 

グレタさんが言った言葉の中で

とても引っかかった言葉がありました。

 

”あなたたち”という言葉です。

 

”あなたたち”とは大人のこと。

”私たち”とは子供のこと。

僕ら大人たちは

子供たちから見たら

価値観も倫理も異なる

別の種族に映っているのではないかと思いました。

 

未来のために、とか、

子供たちのために、とか、

僕らは確かに言っています。

でもそれは

自分の私利私欲を通すために

使っているような気がします。

 

偽善。

 

その一言がずっと頭の中を駆け巡った一日でした。