週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

15年後の自分を想う。

東京のマンションの管理人Yさんが、

2月の頭でリタイアすることになりました。

このマンションを15年に渡って管理し続けてきたYさん、

今日挨拶に行ったら、

管理人になってからこのマンションで、

5人の人を(あの世に)見送ったよ・・・

と言っていました。

 

長い事ご苦労様でした。

寂しいですね・・・

と言ったら、

もう50年も働いているので

いい加減いいでしょう。

それになんだか最近左足が痛くて上がらないので

のんびり筋トレやリハビリをしようかと思ってね。

と、返事が返ってきました。

 

その声はいつのもYさんより弱々しく

ああ、年老いたなあ・・・という感じがしました。

 

察するにYさん、72歳とか73歳と思われます。

 

人生あっという間だよ~

と話すYさんに自分を重ね合わせたら、

僕もあと15年ほどしたら

今のYさんと同じ歳になります。

 

15年と言えば、

僕がサラリーマンを辞めて独立してから

ちょうど今年で15年目。

振り返ると辞めようと決心した年の冬、

小学生と中学生の二人の子供をスキーに連れて行った

その帰りのクルマの中で、

当時大ヒットしていた

中島美嘉の「雪の華」を

しんみり聞いたのを

今でも昨日のように思い出します。

 

今でも新鮮なあの「雪の華」が

15年前の曲でした。

ということは、

僕が72歳になる15年後は

米津玄師の「レモン」や「馬と鹿」とかが

バリバリカラオケで歌われているのでしょうか。

 

人生はあっという間だよ~。

ほんと、あっという間だよ~。

私が言うのだから、間違いないよ~!

 

そういうYさんの言葉は妙に説得力に富んでいて・・・。

 

年始に会った5歳上の、

今でもライブハウスで時折演奏している

ギター壮年(先輩)が、

会うなり腕をブラブラ振っているので、

辞めてくださいよ、あぶないおっさんみたいですよ!

と笑ったら、

いや、笑い事じゃなくて

明日のライブで指が動かなくなりそうなんだよ。

だからリハビリしているんだよ。

と、真顔で言っていました。

 

さらに年始のお祝いを一緒にした、

古いクルマを安く買っては

夜な夜なマンションの地下の駐車場で

修理するのを趣味にしている

同じ年のいとこのTさんが、

一緒にハマろうよ!

というので、

ハマりたいけど経済的にそこまで夢中になれないかも、

みたいなことを言ったら、

あと10年と少ししたら

やりたいことなんか薄れいていくんだから、

今しかないよ、

と、真顔で言っていました。

 

悠々自適、という言葉があります。

自分のしたいことをして毎日を過ごすこと。

何ものにも拘束や束縛をされることなく、自然体に行動すること。

そんな意味ですが、

仮に束縛から解放されても

自分のしたいことがなくなったら悠々自適ではありません。

したいことがあっても体や気持ちがついていかなきゃ

悠々自適ではありません。

 

徐々に薄れていく好奇心、

徐々に衰えていく体力。

 

今が15年後の未来だった頃を

つい昨日のことのように思えるように、

15年後の未来に立つと、

つい昨日のように思える今日を、

笑顔で受け入れられるのか、

それとも後悔の念で迎えるのか、

自分は今その岐路に立たされているようで、

そう思ったら”待ったなし”なのです。

 

そう思ったら

今を生きよう、なんていうきれいごとのような言葉も、

”はっけよい、のこったのこった!”

の掛け声なのです。

 

最近めちゃ考えてしまうことが多くなって。

 

でもトンネルの出口の明かりがほのかに見えているようで。

 

今この瞬間を大事に、とか、

楽しいことだけ考える、とか、

嫌なことは忘れよう、とか、

朝日を浴びよう、とか、

運動しよう、とか、

コミュニティに参加しよう、とか、

おいしいものを食べよう、とか、

たまには贅沢しよう、とか、

いい洋服を着よう、とか、

知らない場所に行ってみよう、とか、

もっと映画を見よう、とか、

ピンピンコロリ、とか、

そういう言葉が

妙に自分ゴト化されつつあって、

これは果たして後退なのだろうか、

と疑いつつも、

結構正常な進化だと確信したりしています。