週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

大事なのは72歳から

八ケ岳から東京に戻ると

一番心をざわめき立たせるのが

救急車のサイレンの音です。

 

これまであまり気になりませんでしたが

最近やたらと耳に着くようになりました。

 

今日も四谷から新宿に歩いている間に

3台も救急車が血相を変えて通り過ぎて行きました。

 

誰がどんな緊急事態を向かえたのだろうか?

そう思うと心が重くなります。

 

重くなった心で考えて、

一つの結論に達しました。

 

大事なのは72歳からの人生だ、

と。

 

72歳というのは男性の健康寿命のことです。

健康寿命というのは

介護をされたり寝たきりになったりせず

自立した生活ができる人生期間のことです。

(ちなみに女性は、74歳です)

 

昨日も元会社の同期たちと話していたのですが、

彼らが一番関心を持っているのは

「60歳から65歳までをどうやって切ぬけるか」

です。

 

60歳というのは定年退職の年齢、

65歳というのは年金生活に入る年齢。

この無給になる5年間を

どう切り抜けるか。

 

選択肢はいくつかあります。

会社の再雇用に応じるか、

子会社などに転籍するか。

でも60歳にもなると

極端に給与を下げられて、

かつての部下に使われて、

それでも我慢してやっていく、

という気持ちにはなれないものです。

でも我慢して65歳になってしまえば

年金生活に入れてほっと一息。

 

その狭間で葛藤しているのですが、

僕は何となく違和感を感じていました。

 

人生100年の時代になりました。

仮に90歳まで生きたとして、

65歳から90歳までの25年間、

家の中や病院のベッドの上で

誰かの力がないと生きていけない人生なんて、

恐ろしいと思いました。

無論期せずしてそういう状態になった人も

たくさんいるので、

そういう方々には

精一杯の支援が欠かせないと思いますが、

今元気な僕がやるべきことは、

出来る限り自立した人生を送れるように

努力することだと思います。

だから65歳になったら年金生活でなんとかなるよ、

ってほっとしてしまってはいけないんじゃないか

と思いました。

 

別に国の肩を持つわけではないですが、

出来る限り自立した老後を送りたい。

そのためには65歳までをどうするか、

よりも、

健康寿命(80歳になっても90歳になっても自立)

を目標にし、そこから逆算して、

じゃあ、60歳から65歳までの間

何をすべきかを考えるべきではないかと。

 

老後自立した人生をできる限り送るために

僕は3つのことが欠かせないと思います。

 

① 動けること

 

文字通り他人の力を借りずに

自分の足や手で自分の日常を解決できることです。

 

② 食べれること

 

歳を取ればと取るほど

食べ物に執着していきます。

食べるという行為を

いかに充実させることができるかが大事です。

 

③ 仲間がいること

 

仕事、趣味、ご近所・・・。

僕は気分が塞いでいくと

誰とも会いたくないししゃべりたくなくなりますが、

いざ一人になってみると、

やっぱり人とつながっていることに

元気づけられている自分がいます。

 

72歳を超えても

この3つのことができる環境を整えることが

今の歳の自分に課せられた重要課題であって、

年金をもらうまでにどう過ごすか、

というのはどうでもいいこと。

むしろその重要な助走期間として

位置づけて考えていくべきではないかと思います。

 

だから、月並みではありますが、

たくさん運動をする。

より健康にいいものを食べる。

そのおいしさを記憶する。

そのときの楽しさをシェアできる仲間を作る。

お金うんぬんよりも

そういうことに重きを置いて

60歳から65歳の空白の5年を

過ごすべきだと、

救急車のけたたましいサイレンの音にまみれて

気づきました。

 

目標は、

人生フルーツ」という

ドキュメンタリー映画の主人公の一人、

津端修一さん。

庭で草むしりをした後、

昼寝をすると言って昼寝をしているうちに

そのまま帰らぬ人になってしまったひとです。

期しくもその映画のナレーションは

樹木希林さんでした。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

 

何となくですが、

60歳に入って

やっぱり土や植物に親しんでいる自分を

うっすらと感じているのですが・・・。