週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

義母の形見、思い出を刻むロレックスの青サブ

今日仕事の会議のあとに

時計好きの後輩から、

「その腕時計、ロレックスの青サブですよね、

いいなあ~!今価値が上がっているんですよね」

と声をかけられました。

 

時計に全く無頓着な僕は

へえ~そうなんだ、と思い、

そのあと気になってインターネットでみたら

同じものが90万とか100万とかで

売られていました。

 

意外な値段にちょっとビックリしつつ

ちょっとうれしいような・・・。

 

なんてことをいうと

嫌味に聞こえるかもしれませんが、

僕は本当に時計には興味がありません。

じゃあなぜロレックスなんて持ってんのよ!

と言われると、

これは1年以上にわたった闘病生活の末に

1999年に白血病で亡くなった義理の母が、

「私が死んだら、夫(僕のこと)に

いい腕時計ぐらい買ってあげなさい」

と妻に言い残し、

その遺言に則って

妻が僕に買ってくれた時計なのです。

確か、買った時は70万ぐらいだったような・・・。

 

そんな大金を腕時計ごときに使うのに

足をガクガク言わせながら

渋谷の高級時計店に足を運んだのを覚えています。

 

「せっかくだからロレックスとかにすれば?」

と妻に言われれば、

もう選択肢はロレックスしかないぐらい

時計のことは知りませんでした。

 

で、当時ウインドサーフィンとかが好きだった僕は

エクスプローラーとか

デイトナとか、

ロレックスの中でもいろんな種類のある中で

海でも使えるものがいいと思い、

店員にサブマリーナという

300メートル防水の時計を

見せてもらうことにしました。

 

出してもらったサブマリーナには

3つの色がありました。

黒。緑。青。

どれもきれいな色だなあ~と思ったのですが、

中でも太陽の光がギリギリ届くぐらい

深い海の底の色をした、

「サブマリーナデイト Ref.16613」

(通称:青サブ)

というモデルを一目で気に入ってしまい、

清水の舞台から飛び降りるつもりで

買ったのです。

 

それがこれです。

 

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この時計、一か月ぐらいすると

3分ぐらい進んでしまいます。

今の腕時計と比べたら全然オンボロです。

というか、携帯を見れば正確な時間がわかる時代。

そもそも腕時計など必要ありません。

 

それでも毎日腕に巻いてしまうのは

この文字盤の深い青色に癒されるからです。

 

結構乱暴に扱っているので

あちこちに細かい傷があります。

が、いつも色がきれいにみられれるように

ガラスは磨いていました。

そして、そのディープブルーが

ちょっと紫がかって見えることがありました。

 

そのことに別段気にすることもなく

きれいだなあ~ぐらいでしか見ていなかったのですが、

ネットを見ていたら

そういう色に光る個体を

バイオレットと呼ぶらしく

結構希少価値あり、と書いてあるではありませんか。

 

ひょっとしてそれ?!

と思って

あちこち光にかざして

いろいろな角度から見たりしたのですが、

紫がかって見えるような、見えないような。

 

そのバイオレットと呼ばれる青サブの見分け方に

色のほかに文字盤のある

書体の微妙な違いがあげられていました。

バイオレットの文字盤は

数字の「0」が「O」(アルファベットのO)

のように太くなるとか・・・。

 

目を凝らしてみてみました。

 

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これも見ようによっては「O」に見えるような

見えないような・・・。

 

いやあ、面白い話に出会ったとばかり

家に帰ってこのことを話したら、

サバサバの妻は

あら、よかったわね、老後に困ったら

多少の資金になるわね、

ぐらいの”関心なし”状態。

 

と言われたからといって、

僕は、だよな!ラッキー!

なんて思える性格ではありません。

老後に困っても

多分売らないでしょう。

この青サブは・・・。

 

義母が亡くなったのが

1999年です。

二人の子供が小学生のときでした。

国立ガンセンターのベッドの上で

息を引き取ろうとしている瞬間、

子供たちはわけがわからず

ふざけ合っていました。

息を引き取った瞬間、

妻と妻の妹は

母の死を前に

手を握って泣きじゃくって

絶望の淵に落とし込まれました。

 

僕はというと、

血がつながっていない義理の母。

でも、

ひとりで小さなブティックを切り盛りしていて

ストレスが半端ない事を知っていました。

僕は僕で身の丈に合わない会社に入り

同じようにストレスフルな毎日でした。

その悩みを一緒に共有してくれた人の死に、

俺がしっかりしなくてどうする!

と自分を鼓舞しながら、

涙を見せないように

ずっと窓の外を見ていたのを覚えています。

 

正直、僕の両親よりわかってくれました。

 

その義母の遺言となって残ったのが、

この時計です。

 

時間を知ろうと思えば

もう腕時計などいりません。

携帯の方がはるかに正確です。

 

でも大事な記憶を残そうと思ったら

腕時計は必要です。

 

いや、むしろ、

もはや腕時計は時間を計るものではなく

大事な物語りを刻み続ける

永遠の心臓のような存在に

なっているのかもしれません。

 

僕の大事な宝物の一つです。