先日昔の会社時代の仲間と話していて
同じような歳の彼曰く、
「もう残りの人生限られているのだから
やりたいことやらんと!
行きたいとこいかんと!」
みんなそういう。
そうだ、そのとおり!
いつだって僕もそのとおりだと思う。
でも、じゃあやりたいことは何だろう?とか
行きたいところはどこだろう?と考えると、
ふと考えてしまう。
そうなんだ、強くやりたいと思うことや
行きたいと思う場所がないのいである。
でも何か強く望んでいることがあるのは確かだ。
それが何かを
先週末の山小屋のデッキで
朝日を浴びていて気づいた。
そうだ、こういう時間を望んでいたのだ。
やりたいことは?とか
行きたい場所は?と言われると
ピンとこないけど、
「もう残りの人生限られているのだから
一番心地よい時間を過ごさんと!」
と言われると腑に落ちる。
その心地よい時間を求めて
今日また山小屋に入リました。
ぼおーっと庭を眺める時間も
一心不乱に雑木林の枝打ちをしている時間も
汗を拭きながら薪小屋を組み立てている時間も
アバルト595を飛ばしている時間も
薪ストーブを焚いている時間も
その上で鉄鍋料理を作っている時間も
酔いながらギターをガシガシ鳴らしている時間も
どれもみな心地いい。
特別にやりたいことも行きたい場所もないけれど
心地よい時間を過ごしたいという欲求は果てしなく強い。
それを満たしてくれるのが八ヶ岳の山小屋で、
そこが行きたい場所と言われたらそうだし、
やりたいことと言われたら
八ケ岳でやっているこういうことが
やりたいことになる。
そうなんだ。
残りの人生を慈しもうとしたら
時間とどう向き合うか、ということに行きつくのだ。
当たり前のことかもしれないけど。。。