週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

老人と犬。

僕の山小屋の敷地の東側と南側は道路で

朝夕は犬のお散歩のメッカともいえる

賑わいを呈します。

 

地元の人、別荘族、最近こっちに越してきた人・・・

などなどいろいろな人がいろいろな犬を飼って

家の前でおしゃべりを楽しんでいます。

 

不思議なもので

大型犬のゴールデンレトリバーを散歩させている男性は

キャップにジーンズ、Tシャツに革ジャンといった

アメリカンないで立ちで、

小型のシーズーを2匹連れている女性は

トレッキングのウェアとシューズの似合う

山ガールだったりと、

それぞれ何となくライフスタイルや価値観を表現していて

見ているだけで楽しいのですが、

その中に一組だけ

ライフスタイルや価値観というよりも

人生観でスクラムを組んでいるような

人と犬のペアがいるのです。

 

ご近所に住んでいる男性のご老人です。

白い杖をついているので

おそらく目が不自由なのだと思います。

連れているのは小型の年老いた柴犬です。

毎朝、毎夕、雨の日も雪の日もやってきて

僕の山小屋の角にあるコンクリのブロックに腰を掛け

20分ほど休んでは帰っていきます。

 

庭仕事をしていたりすると通るので

こんにちは、と挨拶するのですが、

耳も遠いのかもしれず、返事はあまりありません。

でもその代わり犬が吠えます。

クルマで車庫入れしようとしていても、

僕を見つけると犬が吠えます。

 

犬が吠えるとご老人はリードを引いてたしなめます。

最初はリードの力に反抗しているのですが

間もなく吠えるのをやめて

飼い主の足元に寄り添います。

 

それはまるで

目の見えないご主人に

今誰がいる、何をしている、ということを

ご主人の目になって教えているかのようです。

 

ご主人が一人の時はありません。

犬が一人の時もありません。

二人はいつも一緒です。

休んでいる時はお互いに何もせず

ぼうっと景色を眺めています。

いざ帰ろうとご老人が腰をあげると

犬も黙って歩き始めます。

 

昨日は雲の隙間から

久しぶりに夏の夕日が道を照らしていました。

その夕日に向かって

白い杖で地面を確かめながら歩くご老人と

その斜め前を黙々と歩いていく犬は

心の手を取り合って歩くパートナー。

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「お前が逝くまでは俺は丈夫でいないとな。」

 

「うんにゃ、

お前が逝くまでは俺がお前の目になってやるからな。」

 

そんな会話が聞こえて来そうで

僕はこの二人の散歩に密かに勇気をもらっています。