週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

あれから11年経った今思うこと

11年前の今日はというと

僕は妻と沖縄旅行に出かけていました。

沖縄についてオープンカーのレンタカーを借りて

海沿いを颯爽と飛ばしていたら

FEN放送がやたらと津波を警告してきます。

なんじゃこりゃ?

何かあったのかな?

そう思いながらホテルにチェックインして

TVをつけたら

いきなり宮城県沖の津波の映像が流れてきました。

何かの特別番組でもやっているのか、、、

と思ったのですが

次のシーンで

福島の僕の実家の近所で土砂崩れがあり

数名が生き埋めになっているニュースが

ライブで流れてきました。

こりゃ大変なことになっている・・・・!!

そう思って急いで実家に電話したら

つながりません。

何度電話して一向につながる気配なし。

その日は沖縄の友人と久しぶりに再会し

朝まで盛り上がるつもりでいましたが、

お店で再開した友人はとても心配してくれて

僕はというと気もそぞろで

お互いに無口になってしまって

早々にお別れしました。

 

電話がつながったのは

2日後だったと思います。

父と母の興奮した口調から

家の中がめちゃめちゃになっていることが

想像できて、

急いで駆けつけると言ったら

交通インフラがダメになっているので

今は来ないほうがいい、と言われました。

近くのガソリンスタンドでは

長い行列ができて、

夜通し並んで待っていたご老人が

一酸化炭素中毒で亡くなった話も聞きました。

 

ようやく実家に行けたのは

4月に入ってからでした。

持ってきてほしいものはあるか?

と父に聞いたら、

ガソリンがないのでどこかで買ってきて欲しいとのこと。

多少落ち着きを取り戻したとはいえ

相変わらず混乱に巻き込まれている東京を脱出し

ガソリンスタンドを探しながら下の道を行ったら

なんと、途中の栃木県では

何事もなかったかのように

普通にガソリンスタンドが営業していて

行列を作ることもなくのんびりとしています。

実家に到着した僕は父を車にのせて

3つの携帯タンクを抱えて

我先にと栃木県へと向かいました。

 

それから4か月経ち

僕は千葉県の勝浦ののどかな農村に

事務所として小さな一軒家を借りることにしました。

やがて引っ越しが間近になり

その一軒家の間取りを確認しようと

現地に出向いたら、

女の人が住んでいました。

驚いて大家さんに聞いたら

福島で津波に家を流された方で

行く当てがないので

僕が入居するまで貸しているのだとか。

もちろんそれだったら

いつまでだっていていいですよ。

僕も同じ福島出身ですから・・・。

そんな気持ちで女性に接したら、

ありがとうございます、という以上の言葉は

全く返ってくることなく、

気まずい時間がいつまでも流れて行きました。

 

僕はなんだか偽善者になった気分で

とても自己嫌悪に陥ったことを覚えています。

 

そんなわけで11年前の今日

僕も妻も震災を経験しておりません。

もっというと

大学生の長女は

サークルのスキーの合宿で群馬にいて、

高校生の長男は

修学旅行で九州に行っていました。

 

なんという幸運!!

友達にはそう言われますが

世の中に置いてけぼりにされたような

故郷に見放されたような

妙なやるせなさを感じます。

 

経験しない方が幸せだったのか。

経験できた方が幸せだったのか。

11年経った今も自問自答が続きますが、

津波で家を流された方の気持ちに

ギリギリまで近づくことができても、

決して重なることができないのは事実です。

 

福島で生まれ育ったから

福島のためになりたい!

そんな気持ちになることができない自分に

今年も少し腹が立ちました。