週末は娘とが2歳になる孫娘を連れて
1泊2日で帰省しました。
山小屋に行こうと思っていた僕(爺)は急遽取りやめ
東京に残って孫娘の世話係に徹することに。
八ヶ岳の雄大な景色も
山小屋の清浄たる時間も
子供の笑顔にはかないませんわ💦
6月に2歳になろうとしている孫娘は
宇宙後をへらへらしゃべるようになり
なおかつ歩くのが地についてきて
家じゅう走り回ります。
あまりに元気なので
マンションの隣にあるリニューアルしたばかりの児童公園に行って
遊ばせることにしました。
いろいろな遊具があるのが楽しいらしく
奇声を発しながら次々とあらゆる遊具にトライしていきます。
もちろん落ちたり転んだりしないように
僕も必死でついていきます。
1時間ぐらい夢中になって一緒になって走っていたら
じんわりと汗がにじんできました。
一緒に付いていた娘が二人目の子どもをお腹に宿しているので
あまり無理しないようにと帰ろうとしたら
ちょっとふてくされて帰ろうとせず
遊具に乗って”ぷいっ”としながら揺れまくっていました。
その姿にふと思ったこと。
いよいよご臨終になって
自分の人生これでよかったあ~って満足して死ねることって何だろう?
それは自分の家族に看取られるとかそういうことではなく
若い世代に自分の痕跡を少しでも残せるかどうかなのではないかと。
例えば
kogysma爺に言われたあの言葉が今でも勇気をくれる、とか、
kogysma爺から教えてもらったやり方が今の仕事に生きている、とか、
kogysma爺に手を差し伸べてもらったから今自分は生きている、とか。
単純に血がつながっているからではというのではなく
誰かの血となり肉となっている、ということに近いような気がしたのです。
そう思ったらこうして週末娘や孫と過ごすのも
明日から待っている若い部下と一緒の時間も
無駄にできないなあ~。
自分がもっと若い世代に伝え残せるものを
きちんと考えていかないといかんなあ~と思いました。
あたりまえのことかもしれれないけれど
それはもう確信したかのように腑に落ちてきて。
ところでなんでそんなこと思ったんだろ・・・?