週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

大切な人の命を失うということ

仕事の後輩Yの娘さんが事故でこの夏亡くなった。

彼は1カ月ほど休んでいたが少しずつ復帰し

ようやく毎日出社するようになった。

でもいつもの元気や覇気がない。

 

周りのみんなは声をかけたいと思っても

なんといって声をかけていいかわからないでいる。

 

その彼と今日偶然帰りが一緒になった。

「Kさん!」と声をかけられたので振り返ったら彼で

「おう、Yか。お疲れさん!」といって

並んで歩いた。

一呼吸おいて

「どうだ?少しは落ち着いた?」と聞いた。

すると彼が言った。

「いや・・・。全然ですよ。

それどころか朝起きるともうつらくて・・・」

「なんか毎日死にたいと思うんですよね。

早く娘のもとにいきたいなあ・・・って」

そう言いだすと急に目を伏せた。

 

日が沈んであたりは暗かったけど

ビルの明かりに照らされたその目は真っ赤で

泣いているのがわかった。

僕はとっさに彼の肩に手をかけた。

「俺はさ、お前の気持ちがわかるなんて口が裂けても言えないけど

一緒に酒を飲んで大好きなクルマの話はできる。

つらいと思ったらいつでも声をかけてくれ。」

と、そんなようなことを言ったと思うが

「そういってもらっただけでうれしいです。

ありがとうございました・・・!」

と言って別の地下鉄のホームへと消えていった。

 

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この週末僕は自分の娘の家に行って

孫たちと遊んだ。

2歳になる長女の方は片言の言葉がわかるようで

会話になってきた。

生まれてまだ2カ月半の次女は

おちょぼ口をむにょむにょ動かして

しゃべりたそうにうごめいている。

子育てにはいろんなことが起きるだろうけど

なんとしても命だけは守ってあげたい。

そういえば娘がまだ中学生のころ、

口を開けて、なおかつ半分目を開けて

無防備に爆睡している姿を見て

もしもここに強盗が入り

娘が鉄砲で撃たれる瞬間に遭遇したら

間違いなく僕は飛び出して

身代わりになるのをいとわないだろうな・・・

と思ったことがある。

 

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身代わりになってもいいと思うほど大切な存在を

失うことの悲しみがどれほど深いか想像はできるけど

実感がないからその痛みはわからない。

 

クリエイティブな仕事は

相手の心の奥底に寄り添って初めていいものが生まれるんだ、

なんてことをYには言っていたが、

自分が偽善を並べているだけの

薄っぺらい存在に思えてとても嫌になった。

 

でもそんな中で

Yには早く元気になってほしい・・・

そう願う気持ちはかろうじて偽善ではなく本心だった。