朝起きて家中の窓を開け
また一日の始まりです。
コーヒー片手に
ぼーっとリビングから雑木林を眺めていたら
さーっと明るくなったり、
かと思うと急に暗くなったり。
空を見上げると
いくつもの大きな雲が
形を変えながら青空の中を流れていっています。
太陽が差した時の雑木林の木漏れ日は
特に美しいと思います。
太陽のスポットライトを浴びて
普段は誰も気にもとめないような
地べたを這う植物が
あちこちで主役に躍り出ます。
咲いている雑草も
シンデレラになったかのように
スポットライトを浴びて喜んでいます。
木漏れ日採集していたら
モミジが色づいているのに気がつきました。
今日は8月15日。
お盆が過ぎると夏も終わりと言いますが、
夏の日差しの合間を縫うように
ヒタヒタと確実に秋がやってきているようです。
そういえば昨晩は
雑木林からいろいろな虫の音が聞こえていました。
そういえば今朝は寒くて
トレーナーを着ました。
戻ってリビングに上がろうとしたら
踏み台にしている石に
エゾゼミがしがみついていました。
触っても歩くだけで飛びません。
スポットライトが当たっている樹に
移してあげました。
八ケ岳にいると季節の移ろいを全身で感じます。
「移ろい」の「うつ」とは「空(空洞)」のこと。
しかしそれは単なるからっぽではなく
さなぎのように
命を宿らせるための「空」であり「虚」である。
つまり
「空」があるから「全」へ、
「負」があるから「正」へ、
「生」があるから「死」へ、
行ったり来たりする
リバースモードがある。
そんなことを松岡正剛さんが言っていました。
花鳥風月や雪月花など
日本人は「移ろい」に感性を研ぎ澄ませ
独自の文化を育んできた歴史を持っています。
東京にいると
もはや夏と秋しか感じません。
僕は子供の夏休みは、
農業体験をしたり、自然や生き物を観察したりして、
夏から秋への移ろいを感じてもらう、
3か月ぐらいの贅沢な
田舎体験学習期間にすべきだと思っています。
プールや花火やスイカの思い出もいいけれど、
夜の暗さを、
雨音の違いを、
土をいじる楽しさを、
夏野菜の成長の速さを、
魚釣りのワクワク感を、
それをさばくことの罪悪感を、
ひとりでいることの充実感を、
大勢でいても満たされないという真実を、
セミの亡骸の軽さから命の重さを知ってしまうことを、
絵日記にできるような子供たちが
増えてほしいと思います。