週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

追悼:志村けんさん

日曜日、

気がつくとボサボサと雪が舞っている。

やることもなく家で

猫と遊んだり、ギターを弾いたり。 

 

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なんだか田舎にいた頃の

お正月のようで、

物足りないけど満ち足りている気分。

なにか新しい年を迎えているような感じがするのは

僕だけでしょうか。

 

「不要不急の外出を控えるようにーーー」

都からの要請をビートたけしさんが、

「用もねーのに外出すんな、ってことだろ?」

と解釈してくれて、

ストンと腹落ちしました。

 

銀座や渋谷、新宿などの繁華街の

いつもより人通りの少ない様子をテレビで見ると、

いかに用もないのに外出しまくっていたことか・・・。

 

この不要不急の外出に経済が支えられていたのだとすると

未だバブルが続いているのではないでしょうか?

時代のコピーが

”24時間戦えますか?”から

 ”24時間遊べますか?”に変わっただけで、

僕らは経済という歯車の中を永遠に回り続けている

ハツカネズミなのかもしれません。 

 

そうして今日。

何気なく携帯のニュースを更新したら

志村けんさんが亡くなったとのニュースが

画面いっぱいに広がりました。

「8時だよ。全員集合!」は

重くて暗い居心地の悪い実家の暮らしに

週に一回やってくる唯一の笑いで、

それを翌週クラスの友達と真似するのが楽しくて

学校に通ったと言ってもいいぐらい

大好きだったので、

彼の死は言葉にならないぐらいショックでした。

 

ショックなのは僕だけではなかったようで

テレビでは衝撃を受けた若者のインタビュー映像が

流れていました。

一同にコロナの危険さに目覚めたようで、

彼が身を持ってコロナの恐ろしさを伝えてくれた、

といった報道もたくさんありました。

 

それだけ身近な存在だったということでしょう。

それだけ死が一人称に近いものだということでしょう。

 

どこぞのお笑いタレントが

小池知事の自粛要請に、

出なきゃ金が稼げない人間がいる、

それって俺たちに死ね、と言ってると同じだよね、

だったらこれ人災だよ、

政治家の責任だよ、

俺は昨日も友達呼んでパーティーしたぜ!・・・

みたいな内容をツイーしていましたが、

そういう低レベルの思想で

噛みついている場合じゃないだろう、と思いました。

もっとひとりひとりが真摯に謙虚に

見えない真理を見つけ出そうとすべきではないでしょうか。

 

 

蟻には蟻の世界があり

猫はそれを俯瞰することができる。

猫には猫の世界があり

人間はそれを俯瞰することができる。

ときには助けてくれたり、

でもときには敵になったりする人間を

猫や蟻はコントロールできないから

きっと彼らにとっては実在する神様みたいな

存在かもしれません。

 

では人間にとっての神様はというと

やはり目に見えない宇宙だったり、

グレートマザーである地球だったりするのでしょう。

 

こういうと誤解を招くかもしれませんが、

悲しいかな、悔しいかな、

今回の新型コロナウィルスは、

目に見えない宇宙が

地球に対して施している

浄化作用のようにも思えてしまいます。

 

どんなにコロナ憎し!と怒っても、

どこ吹く風。 

水際対策、とか、封じ込め、とか言ってますが、

見えない幽霊に刀を振り回しているようで、

そんなことよりも

”お前はもう死んでいる”ではないのですが、

”私はもう感染している”と仮定して、

じゃあどういう行動を取ればいいのか、

ということを考えたら、

おのずと

「人ごみの中に行かないようにしよう」とか

「マスクはエチケットだ」とか

「用もないのに出ないようにしよう」とか

「悪寒がしたらすぐ検査に行こう」とか

普通に行きつくのではないでしょうか。

  

 

 

バブル崩壊、リーマンショックといった

経済破綻を経て立ち直ったと思ったら、

震災や台風、森林火災などの

自然災害が発生し、

今はというと目に見えないウィルスが

世界を震撼させています。

 

人類の歴史がそうだったように

どんな困難もいつか乗り越えられるときが来ることを信じ

個人も社会も一つになるべきとき。

禍が去ったあと

残された者たちがまた一から

新たしい時代を築かなければなりません。

 

その新しい時代はどんな時代かというと、

意外にもそれは不要不急の外出を制限された

今のような暮らし。

人間の欲望を断捨離したような暮らし。

もしもこれで暮らしがやっていけるなら、

これでいいじゃん?

になるような気もして。

同時に国家間のいがみ合いなんぞ

子供のケンカじゃないの?

ぐらいにしらじらしいものになるような気もして。

昔の価値観や方程式を当てはめる大人たちが

いかに時代とずれているかを証明されるような気もして。

資本主義でも社会主義でもない、

お金でもない経済軸にいるわけでもない、

キリスト教とかイスラム教とか、

そういった宗教もすべて飛び越えた大きなところに

人類が一歩近づけるような気がして。

 

これからもっと感染者も亡くなる人も増え

明日それが自分に来るかもしれないという

平等な恐怖を自覚すること。

亡くなられた人たちを

自分にとってのかけがえのない人だったと思えること。

命のバトンを受けたものとして

甘ったれずに未来を担うこと。

人類の覚悟がいかなるものかを

試されているような気がします。

 

乱筆乱文、支離滅裂になってしまった・・・。

 

志村けんさんにあらためて追悼の意を表します。