月に一度の痛風の定期健診。
いつもの内科に入ると
看護婦さんが電話で限りなく謝っていました。
「すみません、全く入ってこないんです。
ええ・・・いつ入ってくるかもわからないんです・・・。
申しわけありません・・・。
・・・年内ですか?
はい、年内には間違いないと思います。
もしも入ってこなかったら
私が責任もってどこかから調達してきますので・・・
本当に申し訳ありません・・・」
どうやらコロナワクチンのことのようです。
先生に、ワクチンが入ってこないようですね・・・
と聞いたら、
「そうなんです。
新宿区と渋谷区は全然ストップしてしまって
65歳以上の人とかも
かなり接種できていない人がいるんです。
集団接種の分が職域接種の方に回ったみたいで
ずっとこんな問い合わせが続いています・・・」
と疲れ切った様子。
その一方で
昨夜国立競技場でオリパラの予行練習が行われていたようで
友人が写真を送ってくれました。
夜の夜中にひっそりと予行練習。
美しいというよりは
宇宙人の仕業のようで不思議な感じ。
「心ひとつに」
「叡智を結集させて」
「愛と勇気と感動を」
どの面さげてのたまいているのか。
関係する人、
ことごとくオリンピックの精神に反しているではないですか。
おもてなしがコロナ患者探しになって
熱波の夏、観客のいない中で、
選手たちはどこまで力以上のものを出せるのだろうか。
コロナ対策もオリンピックも
すべては後手後手。
ハッパをかければわが国民はきっとやってくれるって
いまだに思っているのだろうか?
日本人でも地球人でもなく
もはや宇宙人たちである。
僕は100%以上の力を出し合える
世界一の瞬間を見たい。
その舞台を提供するのがホスト国の役目であって
その舞台に鼓動を吹き込むのが観客だと思う。
数週間後にはテレビの向こう側で
金メダルを取った選手の笑顔が映し出されることでしょう。
たとえ世界一の記録が生まれたとしても
なんだかどこか遠い世界の出来事のようで
こころが響き合わないのが今からわかります。
トヨタが大会関連のCMを流さないことに決めたようです。
幹部も大会に出席しないことにしたようです。
「いろいろなことが理解されないオリンピックに
なりつつある」
いろいろ理解されないことが
スポーツを通じて理解されることにこそ
オリンピックの意義があるのではないか。
怒り、やるせなさ、焦燥感。
渋谷の女子高生がインタビューで
「もうコロナもオリンピックもどうでもいいです。
疲れました」
と言っていたけど、
それが多くの国民の率直な気持ちのような気がするのですが
多分この気持ちを決して共有できないのが
政治家たちなんだろうな、と思います。