先日Oさんとカフェしながら
ふと思ったことを書きます。
(↓↓↓先日Oさんとのカフェの話)
Oさんは65歳、僕は60歳。
二人とも還暦過ぎ。
二人とも元サラリーマン。
二人とも会社が嫌で嫌で後先考えず辞めてしまったたぐい。
二人とも八ヶ岳で新しいことで収入を得ようと思っていたこと。
二人とも二度と昔の仕事はしまいと思っていたこと。
そうして今二人ともなぜか
昔の仕事の経験や技術を
個人で活かして仕事をしていること。
違いはというと
Oさんはものごとをポジティブに考える方で
僕はものごとをネガティブに考えてしまいがちなこと。
正確が違うくせに似たような環境にいる二人ですが、
話が合うのはまだ現役で働けているということです。
Oさんは化学メーカーの研究職を経て今に至りますが、
長野や九州や神奈川の会社に相談役的に関わっていて
週に2,3日ほど八ヶ岳からクルマで出張しています。
(しかもアバルトで!)
僕は60歳になってすぐに
たまたまとあるコミュニケーション関連の会社から声がかかり
週3日ほど専門役として通うことになりました。
(そんなこともあって八ヶ岳に完全移住出来ない・・・)
共通しているのは仕事スタイルが似ていることばかりではなく
これまでのノウハウや経験に基づいて
若い世代を育て
新たしいビジネスチャンスを作って欲しい、
というミッションがあるということです。
このミッションについて二人とも思うのは、
もう使うことがなく捨てようと思っていた知見やノウハウが
意外にも重宝されるのだということです。
お年寄りの知恵というのがあり
かつては大変重宝され
お年寄りは大切にされました。
それは若い人がどんなに明晰な頭脳で数か月程度学んだとしても、
30年とか40年とか長い年月をかけて
じっくり習得していかなければ得られない技術や感であり、
僕ら年寄りにしたら
ちょちょっと考えたりしたらわかってしまうようなことが、
若い人にはなかなか行きつくことのできないゴールだったりするようで
それがとても貴重で目から鱗に映るらしいのです。
当たり前だと思っていた知見やノウハウにとても喜んでもらうと
僕らもとても嬉しくなります。
そうして世代を超えてウィン・ウィンでつながれるのは
人生の後半戦に差し掛かるともはや宝物です。
僕ら二人とも思ったことは
苦しいときや辛いときもあったけど
地道にやり続けてきたことで得られた知見やノウハウ、感は、
僕らにとってはもう振り返りたくもないガラクタなのですが
そのガラクタの山の中に光るダイヤモンドがあったり
その造形が魅力的だったり思われていると思うと
捨てなくてよかった、と思います。
僕はこのガラクタの山は
すべてのお年寄りが持っているものではないかと思います。
その山をすごいだろうといわんばかりに
一方的に押し付けて見せるから嫌われるのであって
いろんな角度で見せてあげられるような舞台や場面を作るのが
必要なんだと思います。
あるいは若い人からみたら素敵と思える角度を
提示してあげられるかどうか。
若い人には難しいけど
僕らには当たり前にできることを
仕事にしようとしてみる。
そう考えれば
それってそんなに難しいことじゃないのではないでしょうか。
とある研究ばかりしてきた人はその研究の知見を。
企画書ばかり書いてきた人はその書き方の視点を。
営業トークで稼いできた人はそのトークの妙を。
自然と関わる仕事をしてきた人は
そのしわくちゃの笑顔の奥にある人懐こさを。
熟成した宝物のような何かが誰もにあることを信じて
誰しもがそれに気づいてくれたら
世の中はもっと楽しくなると思ったりしました。
だって体力やスピード、記憶力なんぞでは
絶対に若い人には勝てないんですから笑!