週末は雑木林に囲まれて

八ケ岳に魅せられて、週末は八ヶ岳南麓で暮らしています。東京と行ったり来たりの暮らしの中で感じたことや考えたことを綴ります。

「仕事」をリタイアするのではなく「仕事」という文脈からリタイアする

僕は法人成りした個人事業主なので

定年というのはないのですが、

60歳を目の前に徐々に仕事も少なくなり

体力ややる気の衰えを感じたり、

何より国民年金の納付がまもなく終了、

といった節目がやってきて、

健康年齢が続く間どこで何をするか、

ついいろいろ考えてしまいます。

 

やりたいことがある人は

それに向かって一目散に動くでしょう。

僕はやってみたいことはいろいろとあるのですが

本当にそれをやりたがっているのかと

心に問うと

そうでもないような気がするのです。

 

例えばそば屋をやりたいという人がいたとします。

仮にお店を開店するにあたって

1000万の初期投資がかかったとします。

本当に心の底からやりたかったことなら

1000万?

それだったら3年で回収できるから全然いける!

と常に前向きに考えると思うのですが

1000万?

回収するのに3年もかかってしまう・・・

としり込みしてしまうのは

強く心からやりたいと思っていることでは

ないと思うのです。

 

そんな気持ちが

いろんな”やりたいと思っていること”に

まとわりついて

ブレーキをかけているのです。

 

心の底からやりたいと切望することがない場合は

どう考えればいいのか?

意外とこんな悩みの人は

多いのではないかと思います。

 

そんな折

「partner」という三菱UFJニコスの発行する

会報誌を眺めていたら、

70歳を迎えた中村雅俊さんの言葉にハッとしました。

 

これまでは主役を演じることが多かったのですが、

最近は主役じゃなくてもいいという考えになりましたし、

喜んでもらえるのなら

俺でよければどんな役でもやりますよ

っていう気持ちが強くなりました。

 

不思議なもので

いつもはスルーしてしまうような言葉でも

急に時折キラキラ輝いていたりするもので、

自分が出ていくことで

喜んでもらえること、

まずはそれをやってみることが

やりたいことを見つける第1歩になるんだ、

ふと、あらためてそう思いました。

 

それはどんなことでもいいのではないでしょうか。

 

料理を作って喜んでもらえて

また作って欲しいと言われたこと。

庭木を剪定して喜んでもらえて

また剪定して欲しいと言われたこと。

登下校時の児童の見守り活動をして喜んでもらえて

またやって欲しいと言われたこと。

いままで自分が生きてきた中で

そういった喜んでもらえたときの記憶を

もう一度拾い集めて、

それは果たしてお金になるのか・・・などと

左脳であれこれ考えずに、

喜ばれる体験を積み重ねてみることが

一番の近道ではないか。

仮にお金がついてこなくても

お金に代えられない楽しいことに

気が付けるのではないか。

 

自分が出来ることはなにか?

自分の能力が社会で通用するか?

それでお金は稼げるのか?

ということを考えだすと

臆病が顔を出し始めます。

 

でも自分がやって喜んでもらえたことは何か?

ということをいくつも思い出していくと

自分にもできることはあったんだなあ・・・と

勇気や自信が湧いてきます。

その嬉しさをバネにすればいいのではないかと。

 

それは言い換えれば

自分の人生の主役をはろうという考えを捨てて

世の中のたくさんの人生の

脇役になろうとしてみることかもしれません。

 

さっきのそば屋の話に戻ると

いきなりそば屋を開店しようとすると

臆病になります。

ですが自分が打ったそばを食べてもらって

おいしい!もっと作って!と

言われた記憶を思い出すと

その時の相手の嬉しそうな笑顔が

3年で回収しなくてはいけないという使命感とか

貯金が減ることの恐怖などを忘れさせ、

やりたい気持ちを膨らませてくれます。

 

じゃあ僕はどうなんだ?

と思い起こしてみると

企画したりデザインしたり書いたりする

これまでの地味な仕事の延長線に

またお願いしたいな!

と言われて嬉しかったことが一番多かったので

やっぱりそこかなと思います。

 

八ケ岳で農業もやりたいし

樹木の伐採の仕事なんかも惹かれるのですが

どこか心から動いていないような気がして

いきなり行動に移すのにやっぱり足がすくんでしまっています。

下手の横好きでやってみて、

またやって!なんて喜ばれるようになったら

だんだん足のすくみも収まるのでしょうけど。

 

それじゃ仕事をリタイアしないことですね、

と言われるとそうでもあり、そうでもなく、

「仕事」という文脈からリタイアすること

というのが合っているかもしれません。

そこからいったん外に出て

「喜ばれること」という文脈の中で考えた時に

同じ結論に至ったということです。

 

60歳を節目に文脈の路線を乗り換えた。

でも向かう先は同じで

新幹線から鈍行列車になったけど

それはそれで景色を楽しみながら

駅弁買っていきましょう!

みたいなことかもしれません。

 

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何が危険かって

心が動いていないことを無理やり左脳で動かして

全然違う新幹線に乗っちゃって

誰も迎えてくれる人のいないところに行っちゃった、

ということかもしれません。

 

喜んでもらえるのなら

俺でよければなんでもやります。

 

例え同じ仕事でも

そんな気持ちで

新しいプラットフォームに立ってみることから

始めてみよう。

そんな気持ちになりました。